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音の中には言葉がある
若者もすなるnoteといふものを、熟年もしてみむとてするなり。
最近、noteが面白いと思っている。魅力的な文章に出会うことが多く、気がつけばぐいぐい過去を遡り、“にわか◯◯さんマニア”みたいになっている自分を発見する。
そんな作家さんたちの魅力は、筆致や感性によるところが大きいことはわかっている。しかしながらそこは見ないふりをして「noteに書いたら私の文章もちょいと良く見えるかしらん」と、60年近く生きてきながらも相変わらずの軽いノリで noteの海へ舟を漕ぎ出すことにした。
今日は仕事帰りに小馬崎達也さん(桐ギター、久乗編鐘)と仲林利恵さん(篠笛、能管、箏)のコンサートにお邪魔した。
数年前、初めて小馬崎さんの久乗編鐘の演奏を聴いた私は、この楽器の音に落ちた。仏具のおりんを音階として並べた楽器なのだが、音色とか響きとかって言葉だけでは言い表せない独特の広がりがある。
複数のおりんの音は、共鳴が共鳴を呼び、会場内に水紋のように広がっていくのだが、耳から(あるいは毛穴から)体内に入った音も、深く広がることを止めず、響き、そして残り続けるのであった。
桐ギターも箏も素晴らしいけれど、私はこの久乗編鐘と仲林さんの篠笛が特に好きだ。小馬崎さんのオリジナルの楽曲を通して、日ごろ感じていない何かを思い出させてくれる。
懐かしさ、ではなく、回帰とでも言えばいいだろうか。自然への回帰、胎内への回帰、神秘への回帰、自分自身への回帰、、、、、
このコンサートタイトルは「音の中には言葉がある」となっていたが、私も多くの言葉を受け取ったようだ。
余談になるが、十三弦と十八弦の箏をエネルギッシュに演奏される仲林さんは、たいそう美しい方だ。箏をつまびく腕のダイナミックな動きに惚れ惚れするのだが、私が一番美しいと思っているのは実は一瞬である。
演奏をとめて楽曲に身を委ねている彼女が、篠笛を吹こうとする瞬間。その呼吸がなんとも美しい。
と演奏風景っぽいことを書いてみたが、実は私はほとんどの曲を視覚情報を遮断して聴いている。音に集中して、感じるままに感じる。
舟は漕いでない(はず)。漕いでないよ(たぶん)。
最後までお読みいただきありがとうございます。