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2つの『細雪』

ユーチューブでいろいろ検索していたら偶然に谷崎潤一郎「細雪」の映画に出会った。それもカラーの1983年の映画では無く、1950年のモノクロ映画である。

夜中の事なので最初の数分を見て寝る予定だったが、2時間20分ほど全部鑑賞してしまった。

その昔、学生時代に谷崎文学が好きで「細雪」を読んだこともあり、また、1983年市川崑監督の「細雪」を観たこともあったが、モノクロの古い映画の方に引きずり込まれた。

美しかった。ただただ美しかった。1983年の「細雪」はカラーで、日本の美しい四季をあちこちで映している。1950年の方は、モノクロで季節を描写しているカットはほとんど無い。でも、美しい。

ストーリー的には、全く性格の違う四姉妹の描写が素晴らしい。また、カメラワークに無駄が無い。演技が洗煉されている。そして何より言葉が美しい。

大雑把に言えば、関西弁、という事なのだが、もう少し狭めると大阪弁とも言う。具体的には、「船場言葉」という伝統的な言葉遣いである。

考えてみると、東京生まれで東京育ちの私が使っている言葉は、「東京弁」という事で、標準語なのだが明治以後に作られた言葉である。一方、「船場言葉」は、明治以前から続くより伝統的な言葉で、非常に上品で美しい。その言葉を今現在とは違う時間の間(マ)のとり方で話されると、ついつい引き込まれ、映画に没頭してしまった。

この作品を鑑賞した後、1983年の「細雪」を鑑賞してみると、標準語と船場言葉がごっちゃになっていたり、有名俳優が多々出演しているにもかかわらず、演技レベルが小学校の学芸会を観た様な印象だった。

この違いは一体何なのか? いろいろと考えた末、私なりの結論に至った。「お能」である。無駄を極限までそぎ落として演じる「お能」の美学が1950年の映画にはあった。


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