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ひとりが好き

あけましておめでとうございます。
新年一発目にこんなタイトルはどうなのかと思ったけど、色々書きかけのnoteよりこっちが書きたくなったので仕方ない。

突然ですが、僕はひとりが好きです。

孤独、ぼっち、ひとり、シングル、ソロ…
呼び方は色々ありますが、それぞれ意味合いが微妙に違っており、
wikipedia先生によると、孤独という単語は意識の問題で

孤独(こどく、英: solitude)とは、精神的なよりどころとなる人や、心の通じあう人などがなく、さびしいこと。
「自分がひとりである」と感じている心理状態を孤独感(loneliness)という。

wikipedia

このように書かれているし、よくぼっちは悲しいとか、惨めだとか言われているのですが、僕はそうは思わなくて「むしろひとりでいたい」です。

この傾向は家庭環境も影響しているとは思う。

母子家庭で育ったこともあるから一人遊びは得意だったし、母さんがいようがいまいが、昔から独り言いいながらずっと遊んでいたらしいので生まれたときからその傾向はあったのかもしれない。

小さい頃はあまりこの傾向を意識したことはないのだが、おそらく最初に感じたのは、保育園〜小学校低学年の頃だと思う。

近くに祖父母宅があり、よく従姉妹たちの面倒をみながら、自分自身もお世話になっていた。
そこでは大変良くしてもらってはいたが、どこかで他人感は小さいながら感じていたし、直接血縁の祖父母以外は、血縁といっても叔父と叔母の子どもたちであり、やはり優先度というものはあったので、余計に「父母が揃っており兄弟がいる普通の家庭」というものをまざまざを見せつけられていた。

小学校にあがると顕著で、父親がいないことの意味がわかるようになり、特に僕は初孫なこともあり、周りが大人ばかりの環境で育ったので、噂話や愚痴などを聞かされていたから大人の考えや顔色を伺うことをよくわかっていたと思う。

小学校半ばくらいで引っ越しをして自分の部屋を持てるようになったら、完全に一人の時間が好きになった。

学校の友達は多かったし、特に仲のいい子も普通にいたので、別にハブられていたわけでもないし、なんならクラスの今で言うカーストではTOPにいたと思う。
テストは常に満点だし、足は速かったから50m走は学年1位だし、リレーに選ばれることは自慢だったし、ドッジボールは球速も早くて僕が入れば勝てるっていう状態だった。
よくありがちな、子供の頃だけすごい人っていう典型的なパターンである。

ただ、それでも学校の行事は嫌いだった。

とにかく行事が嫌い。

運動会は好きだが、大玉転がしだとか組体操だとか、ダンスだとか、とにかくみんなで一緒に何かをやることが苦痛で仕方なかった。

目が悪かったことも影響しているのだろうが、うまく出来ないことが多い。
誰かに合わせて行動することがしんどくて、子供だからその原因なんてわからないし、先生からは意味不明に怒られる。

だから出来るだけ周りに合わせなくていい、ひとりで過ごす時間が好きになっていった。

元々ファミコンが好きで、保育園卒業前、5歳くらいのときに初めて買ってもらってからずっと一人でいるときの僕の相棒はファミコンだった。
子供だから、ただゲームを好きなのかと思ったけど、今思うと夢中になって時間を忘れて、母親が返ってくるまでの寂しさを埋めたかったのだと思う。

高学年になる頃にはもう祖父母宅に学校帰りに戻ることはなく、自分の家へ直帰するようになってきた。

学校の勉強なんてしなくても授業だけで満点取れるから、勉強そっちのけでゲームばかりしていた。
特にRPGが好きだった。
FFやDQなど一般的なものからあまり知名度のないRPGまで幅広く遊んだ。

今でも名作と言われるクロノトリガーが一番僕の中で心に残っている。

当時はスーパーファミコン(SFC)だと1万以上するソフトを母親は買ってくれた。
あの世界観が好きだった。
主人公は一言も喋らず、周りの仲間がだんだん増えて一緒になって、旅の目的が終わったら最後はそれぞれの世界で生きていく。
最後はクロノは一人なのだ。(もちろんED次第で誰かと結ばれる的なものはあるのだが、心が繋がった仲間が各自の世界線で生きていると解釈している)

そしてクロノトリガーをプレイし終わる頃には、中学になっていた。
中学も相変わらず全体行事は嫌いだったが、やっと開放された感じはある。

そう、受験とか部活とか勉強がメインになって、一緒に行動することを強制させられることは少なくなったからだ。

高校も同様で詳しくは割愛するが一番楽しかったかもしれない。
部活も楽しかったし、学校行事も強制ではないため適度に手伝って終わらせることが出来た。
人間関係でいえば周りもやっと精神が大人になったのだ。

専門に入ってからは更に楽しくなった。
すべてが自由、お金はなかったが友達と毎日遊んだし、好きなことを好きなだけして過ごした。
強制イベントも年に1回あるかないかだし、周りも大人だから面倒なこともなかった。

そして社会人になってからは完全に自由だ。

仕事さえしていれば生きていけるし、誰かとつるんでもいいし、ひとりで趣味に没頭してもいい。
たまに実家に帰省して顔を見せればいい。

大人になってからは、本当に生きやすくなった。


と、長い自分語りは終わりですが、ここからが本題。

今はひとりでいることを楽しんでいます。

彼女がいた時期も何度もあるが、常に束縛されている感じはあった。
もちろん一緒に過ごす時間は楽しくて愛おしくて最高だったが、息苦しさもあった。
25歳のときと30歳のときに本気で結婚するかもという相手はいた。
実際指輪も用意してたし、プロポーズも考えていた。
だけど、このまま結婚したらますますそうなっていくのかなと考えると辛かった。
デートの予定を考えたり、デート中も様々なことを頭で考えながら相手のために動くことが疲れてしまった。
子供が生まれたらますます僕は自分の時間がなくなるし、自分という存在がなにかに固定されて生きていくのは無理だなって感じて別れた。

友達といることも同様で、親友たちとは3ヶ月に1回くらい会うペースで程よかった。
あまり常につるむのも疲れるし、誰かとずっと一緒にいることが苦痛で仕方ないので、程よい関係性を築いてくれた彼らには感謝しかない。

仕事もずっと出社しなくてはいけない状況から、リモートになった。

すごく心地が良い、仕事効率あがったのかといわれると微妙なところだが
間違いなく精神的に一人でいることが精神的疲労から開放されている。
耳が良いこともあるが、周りの音を拾ってしまうのも起因しているとは思う。

どの仕事場でもイヤホンやヘッドフォンとしていることが多かったが、集中出来ないからでそういう意味では今の会社はとても良い環境である。

クロスバイクやロードバイクの趣味を持ってからは特に実感する。
ひとりで黙々と淡々と過ごす時間に価値を見出しているのだ。
グループライドも数回したけどあれはあれで楽しいけど、正直自由感がなくて辛い。
一人で計画してぶらっとどこかに行く、なんなら予定を変更しても誰にも迷惑がかからない、お伺いすることもない、それが最高なのだ。

誰かと過ごすことを大事にするのもわかるし、その考え方には全面同意だ。
ただ、僕はひとりで過ごす時間のほうが自由で、気楽で、楽しくて、少し心細い部分を含めてとても好きなのだ。

この感覚を無理にわかってもらいたいとは思っていないけど、否定もされたくないなとは思う。

好きな食べ物が人によって違うように、好きな生き方というものがあるから。

やたらマスコミとか一部ネットなどでは、ぼっちだの孤独だの煽ってくるが、正直どうでもいい。

ただ、僕と同じように人間関係で疲れて生きにくいと思っている人は、多分、一人で過ごすのが得意、または好きな人の可能性があるので一度周りと距離をとって過ごしてみてほしい。

やっぱり誰かと過ごしたいなー、気持ちを共有したいなーって人はその気持に気づけたのはとても良いことなので関係性を大事にしていってほしい。

あれ、案外一人でも楽しいな、周りの意見に振り回されていたなと感じた人は、僕と同じように一人で楽しむことを恐れず楽しんでいってほしい。

結婚もそうだけど、「絶対しなくてはいけないもの」ではないので本当に勘違いしないでほしい。

親は僕の心配しているけど、老後のお金さえ貯蓄してあれば別に問題ないと思っている。

そろそろみんなの意識のアップデートが必要なんじゃないかなって思う、そんな年末年始でした。

ではまたー。

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