アダンソン君と僕の15年間
楽しかった時間がついに終焉を迎えた。
思えば15年前、僕は国立市にいた。
一橋大学があり、駅前の両脇が桜並木で街全体も学生で賑わっていた国立市から、地味に遠い地である世田谷区のマンションへ越してきた頃の話。
まだ僕も若く20ちょうどくらいの頃だったか。
学芸大学という名前とは裏腹に、学生街の賑やかさから一変して、家族連れが多く、少し大人の雰囲気の街へと越してきたことで不安や寂しさを覚えていた。
そんな僕の心情を察してか、彼が現れた。
国立にいた頃は見かけなかったのにマンションが一階のためか、引っ越してきた年からよく見かけていた。
それがアダンソン君だった。
田舎育ちとはいえ流石に例の奴が出れば嫌ではあったが、奴とは違い不思議と小さくて機敏な動きをするアダンソン君は嫌いではなかった。
むしろ2つの大きな目が可愛く思えてきた。
そんな彼が現れたワンルームの部屋には生活定番のテレビやベッド以外に、PCとディスプレイを設置してあり、ディスプレイの熱に反応するのか、マウスカーソルが餌に見えて惹かれるのか、画面の上をちょこちょこと動く姿がくすっと笑えて可愛いのだ。
こちらがマウスカーソルを動かすたびに餌だと思い飛びつくがディスプレイのすべすべにやられて落ちていく。
床を歩いているときに息を吹きかけるとぴょんとすごい勢いで飛んでいくが、またこちらに必死に戻ってくる姿が可愛い。
壁にくっついてこちらをじっと見つめていることもあった。
不思議と何故か見られている気がして、ふっと視線を壁へ移すといるのだ。もしかしたら彼らの種族にはそういったテレパシー能力があるのかもしれない。
最初はティッシュで軽くくるんで外に放り出していたのだが、気づくと部屋にいるのでどこかに巣でもあるのかと思いきや、彼らは田舎にいるような大きな仲間たちとは違って巣を作らないらしい。
さらに益虫と呼ばれており、小さな例の黒光りする天敵の卵や子供を倒してくれる頼れる相棒だったりした。
それを知ってからは放っておくことにした。
というより共同生活をするようにしてみた。
別に餌をあげたり何かするわけではないのだが、お互いただそこにいるだけの関係を維持してみた。
帰宅してから電気をつけると姿が見えないのだが、シャワーからあがるとちょこっと本棚の裏から出てくるのは可愛かった。
そんなある日、壁にくっついたまま動かない彼を見つけた。
どう見ても足が曲がって弱っており俗に言うこれが虫の息という状態だった。
数時間様子を見たけど動く様子もなく、じっとしたままだったのでそっとつまみ外に出してあげた。
それ以来しばらく彼を見ることはなかった。
時期も冬だったこともあり、冬眠でもしてるのだろうということにしてしばらく忘れていた。
春先になり、また草木が目覚める頃になりアダンソン君が現れた。
同じ個体なのかはわからないが、また一緒に暮らすことにした。
そんなことを春が過ぎ夏が訪れまた秋がきて冬を越し、15年間も繰り返し続けてきたがついに最後の時を迎えた。
部屋の荷物を全て引越し業者が運び出したあとには、大漁のホコリと静寂に包まれた部屋だけが残った。
こんなに広かったんだなぁ。
そこに彼の姿はなかった。
彼との様々な思い出…というほどのものはなかったので、数少ない親友たちと遊んだ思い出、彼女と過ごした日々、転職したり、人生の岐路を思い出して少しノスタルジックになりながら礼をしてドアの扉を閉じた。
そして今、僕は新天地で新しい生活を始めている。
街の規模が学芸大学とは段違いな街であり、今まで住んだ街の中ではダントツに大規模で今の住居もおそらく彼に会うことはそうそうないような場所だ。
生活水準や交通の利便性などは間違いなくあがっているのに、何故か無性に多少不便ながらも楽しかったあの街や家が恋しいのは思い出のせいか、それとも奇妙な同居人がいたからか。
喧騒の耐えない今の街でもまた新しい楽しみが見つかりますように。
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