平等って難しいよね

帰りに寄ったスーパーでめっちゃ遅いレジに並んでしまった。

失敗したなぁと思いつつも、まぁ夕飯時だからこれくらい混むよなと諦めてぼーっと待っていたら、後ろから女性が舌打ちしながら「おっせーんだよ」ってブツブツ言ってた。

まぁ急いでる時とか疲れてるときは自分もたまにそうなるときあるし、舌打ちや愚痴は気分は悪いけど気持ちはわかるよって思いながら、隣の2つのレジは早いのになんでこんなに遅いんだろってレジ打ちの人見たら、おそらく障害者ぽい方だった。
しかも見た目的に年齢がうちの母親くらいで50~60半ばくらい。
なんか急に悲しい気持ちというか色々思いを巡らせてしまった。

もうすぐ定年で会社を退職予定の母は、今の仕事辞めたら趣味以外に特に昼間予定がなくなる。

別に母は障害があるわけではないし頭の回転は早いほうだけど、やはり年齢を重ねるとボケも始まっているように感じるし、ちょくちょくしょーもない失敗をして僕を心配させたりはする。

暇だったらスーパーやどこかでレジ打ちでもするわ、アハハなんて笑って僕に言っていたけど、もしレジ打ち始めたら、今並んでいるレジのおばちゃんと同じように他の客から色々言われるのかもしれないなぁとちょっと怖いし悲しくなった。

このレジ打ちの人に限らず、誰もが病気や不慮の事故に遭ったりして障害を負うことはあると思うし、その時を想像すれば色んな人に対して厳しい態度は取らないほうがいいと思うんですよ。
だから他人の立場がわかるような人は、人に優しくするのかなって今更ながらに感じたりしてました。

そして、やっと順番がきたとき、おばちゃんの仕事ぶりをちょっと観察してみたら、一生懸命レジ打ってるし、まぁ手際は悪いけど仕事としては問題なく出来ている。

でもこの人にとってはこれが精一杯で、普通の人が80%の仕事で評価されるなら、この人は120%くらい頑張ってるのかもしれない。

そう考えると世の中の評価って実績評価だから、仮に普通の人は20万貰えたとして、障害者の人はどんなに頑張ってもタスクこなす数が少なければ当たり前だけど相応の10万とかになるんだよなぁって。

慈善事業してるわけではないので会社もただ金を出すことは出来ないし、頑張りは認めても、無限に金があるならともかく、健常者がその分、仕事巻き取って一生懸命働いていれば評価してあげるべきで。

こんな状態の自分や他人を恨むわけにもいかんし、なんか世の中色々つれぇなあって感じました。

僕も障害がありますが、努力してきたおかげか運が良かったのか、そこそこいいお金は貰っていますが、それでも自分としては他の人より(苦労しなくても良いところを)苦労して仕事してはいます。

今の会社はある意味平等に見てくれているので、健常者でも障害者でも仕事量に応じて同等の額をくれますが、僕が資料を読むのに人の3倍とかどれだけ苦労して読んでも当たり前ですがそこは評価にはならないわけです。

これは会社が悪いわけではないし、国が悪いとかでもなく、もはやそういうものなんだと思いますしどうしてもこれを解決するべく事柄ってないよなぁってずっと悩んでます。

別に俺をめっちゃ評価してくれー!とか苦労してるんだぞー!ってことを大声で言いたいわけじゃないんです。
ただ、同じだけ頑張るには遥かに苦労して頑張らなくちゃいけなくて平等という言葉の意味をずっと考えてしまう。

お情けでお金貰っても嬉しくないし、かといってじゃあ結果出てないけどお金くれるのかっていえばそんなことはありえないわけで。

これに対する回答とか考え方について参考になる書籍とかサイトとかないのかな。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?