予防接種のはじまり

人類が最初に予防接種を開発し、かつ予防接種によって根絶に成功した感染症が天然痘です。

国立感染症研究所によると、
天然痘は紀元前から世界各地で度々流行し、その致死率(かかった人が病気によって死ぬ確率)は20-50%もありました(強毒タイプの場合)。日本では明治時代の45年間に6回の流行(患者数2〜7 万人程度、死亡者数5,000〜2万人)が発生したといいます。
ものすごく大雑把に計算すると、
明治45年の人口がおよそ5000万人だから、多い時で700人に1人感染し、2500人に1人が亡くなったことになります。

天然痘は治ったとしても、顔に醜いあばた(瘢痕)が残ります。失明することもありました。当時の人々は流行のたび、どうかかかりませんように、自分の子どもにうつりませんように、と願っていたことでしょう。

天然痘の予防接種は1796年、かの有名なジェンナーによって発明されました。牛痘という牛の感染症にかかった女性は天然痘にかからない、ということに気づいたジェンナーは、牛痘にかかった女性の発疹の膿を別の少年に接種しました。この少年にその後天然痘の膿を接種しましたが、少年は天然痘を発症しなかったのです。こうして予防接種(種痘)が始まり、世界に広まっていきました。
種痘が日本に入ったのは1848年で、1946年(昭和21年)の流行を最後に日本で天然痘の発生はありません。1976年に日本での定期接種は中止され、1980年にWHOが天然痘根絶宣言を出しました。

素晴らしい成果を挙げた種痘でしたが、いいことばかりではありませんでした。
10〜50 万人接種あたり1人の割合で脳炎が発生し、その致死率は40%と高いものでした。その他にも全身性に発疹が出たり、接種部位に感染を起こしたり、1割の人に37度以上の発熱を認めるなど、副反応の問題が大きかったのです。
市民も副反応を仕方がないと受けれていたわけではもちろんなく、1970年には種痘副反応が日本で社会問題になりました。
ワクチンの作り方にしても、牛の皮膚を傷つけて痘苗を塗りつけ、できた膿を掻き取って軽く精製するという、現代では考えにくい、あまり清潔とは言えないものでした。より安全なワクチンにするため、様々な消毒法が研究されていました。

一方でこの頃、より安全な天然痘ワクチンの研究も始まっていました。1975年、脳炎がほとんど起きず、発熱も少ない優れたワクチンが日本で開発されました。しかし世界的に種痘が制圧されつつあったため、このワクチンは広く使用されることはないまま、種痘そのものが行われなくなったのでした。

副反応の多い種痘がそれでも世界的に行われ、天然痘を根絶できたのは、天然痘が人間にしか感染しないウイルスであったこと、天然痘という病気の恐ろしさに加えてWHOが戦略的に世界での種痘を進めたことがあるでしょう。
「何もしなければ2500人に1人の確率で天然痘に感染して亡くなります。
種痘を受ければ天然痘にはかからなくなりますが、10万人に1人の確率で死ぬかもしれません」

という状況なら種痘を受けるメリットが大きいように感じられます。
ところが多くの人が種痘を受けて流行が落ち着いてくると、種痘を受けていない人が感染する確率はぐっと低くなります。
1万人に1人の確率で天然痘に感染して亡くなります。種痘を受けると10万人に1人の確率で死ぬかもしれません」
と言われたら悩んでしまうのではないでしょうか。
ところが、では種痘はやめましょうといってみんなが種痘を受けなくなると、天然痘の抗体を持たない子供達が年々増えていきます。そしてその子供が感染する確率は上がり、いずれまた大流行が起きてしまうでしょう。
徹底的に感染者を探し出し、その周辺の人たちに集中して種痘を行う作戦が功を奏し、人類は天然痘を根絶することができたのです。
このように予防接種により社会全体からその感染症が減り、予防接種を受けていない人(アトピーの人や赤ちゃん、妊婦は種痘を受けることができませんでした)も感染から守られることを「社会防衛」といいます。

それから現在に至るまで、様々な感染症のワクチンが開発され、使用されています。もちろんかつての天然痘ワクチンよりずっと清潔で安全に作られたものたちです。昭和のはじめ頃にはありふれた病気であったはしか(麻疹)や三日ばしか(風疹)が今やあまり耳慣れない病気になったのも(最近再び流行していますが)、予防接種の普及によるところが大きいのです。


引用・参考文献
(1)国立感染症研究所: 天然痘とは
https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/445-smallpox-intro.html
(2)平山宗宏: 種痘研究の経緯. 小児感染免疫20 (1):  65-71, 2008
http://www.jspid.jp/journal/full/02001/020010065.pdf#search=%27平山宗宏+種痘研究の経緯%27
(3)予防衛生学会: ワクチンによるウイルス感染症の根絶(2)
https://www.primate.or.jp/serialization/29%EF%BC%8Eワクチンによるウイルス感染症の根絶(2):/
(4)加藤茂孝: 天然痘の根絶ー人類の初勝利ー. モダンメディア55(11): 283-294, 2009
http://www.eiken.co.jp/modern_media/backnumber/pdf/MM0911_02.pdf#search=%27eiken+天然痘%27
(5)日本小児科学会の「知っておきたいわくちん情報」予防接種の意義
https://www.jpeds.or.jp/uploads/files/VIS_01yobouseseshu-igi.pdf#search=%27予防接種+個人防衛%27

このnoteを書いて・・・
私の両親には、腕にハンコ注射(BCG)とは違う予防接種の痕があります。幼い頃、何の注射だろうと思っていましたが、今思えばこれが種痘の痕だったのですね。そう思うとつい最近まで天然痘の脅威はあったわけで、先人の大変な努力によりこの恐ろしい病気が撲滅されたことに感謝を感じます。もちろん、副反応によって命を落としたり障害を負った方々がいることも忘れてはならないし、現在ある様々なワクチンについても、より副反応を少なくするための研究は続けなければならないと思います。
天然痘と人類の歴史については(4)の文献が詳しいです。人類の歴史の様々な転換点に天然痘が影響を及ぼしていたことがわかります。
天然痘の発疹の画像は、かなりショッキングなものです。これも天然痘が恐るべき病気となったひとつの理由だと思います。よしながふみの漫画「大奥」を私は愛読していますが、この作品中の「赤面疱瘡」は天然痘をイメージしています。発疹の様子、強毒タイプと弱毒タイプがある点、人口構造に大きな影響を与える点(赤面疱瘡は男子のみに感染しますが)、予防接種が開発された点(漫画では熊痘)など。この漫画はとても面白いのでおすすめです。
「ワクチン」の語源はラテン語の「牛痘=Variolae vaccinae」によります。また東京大学医学部の歴史をたどっていくと、日本で江戸時代に開かれた種痘館に繋がるそうです。調べることで様々な歴史を知ることができました。

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