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”正解”だけを選べたら

人はいつも正しくは生きていけない

正解なんてないという言葉は、今回は論点がズレるから1度脇に寄せておく。

幸せや平和や安定が約束された事実としての正解がこの世には存在する。
たとえそれが自分の心の声と異なるものであっても。

事実としての正解を選ぶことで、
誰かを傷つけたいわけじゃない
むしろそこに応えたい一心だ

でもそれは綺麗事で、
結局は自分自身が
正解の先に約束された幸せを夢みたいだけかもしれない。
事実としての正解にいつか自分の心が追いつくと信じたいだけかもしれない。
約束された幸せを心の底から享受できる自分でありたい、そういう自分であることに掛けてみたいだけかもしれない。
ただ寂しくてどうしようもない自分や形のある安心が欲しいだけの自分を満たしたいだけなのかもしれない。
これは人間の弱さの存在箇所の1部だ。
真心ではなく欲に甘えるという、この類の弱さに打ち勝つことはとてもとても難しい。

しかし、目に見えてわかる選択肢の正解が与えられたとき、逆走する心の声がほんのわずかでも聞こえてしまったら、その時は正解が選べても、いつか限界が来る。

ゴールが微々と透けて見える心の声に背いた終わりのある正解を選ぶことは、いくら違うと思いたくても、結局はそこに関わる人を軽んじているという奥底の事実から逃れることは出来ない。

私は、自分が誰かの心の存在しない正解になることは、プライドが許さない。絶対に嫌だ。
この弱さに打ち勝つことに自信はまるでないが、
そういうとき、できる限りその弱さと戦いたい。
自分がした行いはいつか自分に返ってくるから。
事実としての正解ではなく、誰かの心の奥の唯一無二の正解になるために。

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