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自己分析の罠

「自己分析」に必要なのは曖昧な記憶ではなく、リアルな「自己情報」。それは挑戦や偶然に身を投じる「自己実験」によって得られます。

アタマの中だけでこねこねしても、それは「自己分析」ではなく「自己偏見」でしかない。アンケート回答による自己分析であっても、理想が投影されたりするので偏見はより強くなる可能性があります。

これはつまり、

偏見を避けて実験によって情報を得て分析しよう

というシンプルなことで、科学的なアプローチとしては一般的なこと。

でも、そのアプローチの対象が「自己」にまつわることになると途端にできなくなったりするので気をつけたいですね!

ちなみにさっきの文にいくつか「自己」を代入してみると

自己偏見を避けて自己実験によって自己情報を得て自己分析しよう

となります。

重要なのは分析ではなく実験です。分析にあまり時間を使わないほうがいいとすら思っています。今の自己分析の潮流はなぜか分析のほうに重きが置かれてしまっています。

自分を試す実験をするほうがよっぽど重要です。新しいことに挑戦したり、不慣れな環境に身を置いたり。新鮮でリアルな発見がたくさんあります。

さらに言えば、自己分析という自己への偏った注目はほどほどにしたいところ。逆に、他人のために、もしくは他人と一緒に、なにができるかを考えた方がずっといい、とも思っています。

わたしがいわゆる「自己」啓発本に興味がないのも同じ理由です。他者への好奇心や関心を育む方が意味があるんじゃないかな、と思ったりします。

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先日voicyでは「自己理解」について話しました。このnoteの話題にも近いものがあるので、ぜひ聴いてみてください。


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