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世界に共通する「それなら、もうやってます」というオチ

これは江戸の小話。長屋の大家と怠け者の若者の会話です。

「なんでえ、いい若いもんが、寝てばかりいねえで、起きて働け」
「働くとなんかいいことあんすか?」
「そら、働けば、銭が稼げらあ」
「銭稼ぐといいことあんすか?」
「そら、稼げば、金持ちになる」
「金持ちって、なんかいいことあんすか?」
「そら、金持ちになったら、もう働かずに寝て暮らせる」
「それなら、もうやってます」

・・・

これは現代の小話。コンサルタントと漁師の会話です。

「いい魚ですね。漁にはどのくらいの時間かかるのですか?」
「そうだな、数時間ってとこだな」
「まだ日は高いのに、こんなに早く帰ってどうするのですか?」
「妻とのんびりするよ。一緒にシエスタを楽しみ、午後にはギターを弾きながら子供と戯れ、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しみ、それで、寝ちまうよ」
「なぜもう少し頑張って漁をしないのですか?もっと漁をすれば、もっと魚が釣れる。それを売れば、もっと多くの金が手に入り、大きな船が買える。そしたら人を雇って、もっと大きな利益がでる」
「それで?」
「次は都市のレストランに直接納入しよう。さらに大きな利益がうまれる。そうしたら、この小さな村から出て、メキシコシティに行く。その後はニューヨークに行って、企業組織を運営すればいいんだよ」
「そのあとはどうするんだ?」
「そこからが最高だ。企業をIPOさせて巨万の富を手に入れるんだ」
「巨万の富か。それで、そのあとはどうするんだい?」
「そしたら悠々とリタイヤさ。小さな海辺の町に引っ越し、家族とのんびりシエスタを楽しみ、午後にはギターを弾きながら子供と戯れ、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しむ。のんびりした生活を送れるのさ」
「そんな生活なら、もう手に入れているじゃないか」

・・・

この手の話はどうやら、世界中に同様のパターンで流布しているそうです。「それなら、もうやってます」というオチのセリフで説教の構図が逆転するのが印象的ですね。

わたしたちは「いつか理想の暮らしを手に入れるんだ」と先延ばしをして生きてしまう。でも、もしかしたら今すぐにでもそれを選び取ることはできるのかもしれない、と考えさせてくれます。

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