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オシムさん死去

5月2日の朝、オシムさんの訃報が日本を駆け回った
ショックだった
バスケットの指導に悩んだ時、オシムさんの本と出会った
のめりこむように読んだ
サッカーに関することであったが、他の競技でも通じる本質的な教えがある
いや、一つのスポーツだけではなく、人生の教訓でもある
「ライオンに追われたウサギが肉離れをしますか?要は準備が足りないのです」
「町で2番になるより、村で1番になった方がよい」
「戦術的ディシプリン(規律)を大切にすること」
など、心に響く言葉の数々
オシムさんに影響を受けた練習メニューを組んだ
子どもたちはよく考え、走り、動き、そして楽しんでいた
中学校に行っても、
「三浦先生の練習がしたい」
と家でよく子どもが言っています、と言われるようになった
彼の生涯を追った本も読んだ
ユーゴスラビア内戦の後、分裂する民族間に立って交渉を進めた
オシムさんは、対立する民族のリーダーにも認められていた
だれからも尊敬される人間であった
次から次へと、オシムさんに関する本を買った
教育に関しても大いに参考させてもらった
オシムさんは数学教師の資格を持っていた
実際に、家庭教師のようなこともしていた
奥さんのアマルさんも、教え子なのである
成績が優秀で、数学の道か、サッカーの道かで、大いに悩んだそうだ
そんなオシムさんから、学ぶべきことはたくさんある

私の仕事は、日本代表を日本化することです

この言葉、学級経営に置き換えることができる
担任だったら、
「私の仕事は、このクラスの、このクラスにしかない良さを発揮させることです。一番いけないのは、ほかのクラスをマネすることです」
となりそうだ
担任の先生が、まず子どもたちの特長を見極めること
そして、特徴を発揮させるための手立てを何通りも用意しておくこと
オシムさんは、練習を組み立てるために、前日、夜中まで考え続けていたらしい
そして、一つの練習がうまくいかなかったときに、全く別のメニューまで想定していたという
これができたらこれ
これができなかったらこれ、というように、手立てをうっていた
そして、徹底的に頭を使うことを求めた
選手が頭を使わざるを得ない練習で、試合を変えていくこと
つまり、子どもたちが自分たちの暮らしをよくしていくために、考えたくなるようなしかけをすること
気付いたら、よいクラスを自分たちで作っていたとなったら、素晴らしいことだ
実際に、オシムさんはそのようにして、強いチームを作り上げてきた

試合前のミーティングで居眠りしていた選手が、試合で大活躍することもある

オシムさんはできるだけ、対戦相手の仮想を試合中に再現していた
どんなチームかを分析していることが、勝利するうえで重要だと話している
だからこそ、試合前のミーティングを重視していた
しかし、中には居眠りをする選手もいる
そんな選手が大活躍することもある、と語っていた
それがサッカーなんだと
試合が始まったら、何が起きるかわからない
準備は最大限しておくが、あとは選手が自分を信じ、サッカーをすべきなのだという
ここで大切なことは、試合で居眠りしていたから駄目だ、という視点をもたないほうがよいということ
私もそうだったのだが、教師は結びつかないこと同士を結び付けるくせがある
リレーの選手は学級の代表、みんなに応援されるように、やるべきことをやることが大切
宿題をやらないからおかわりはできません
などである
もし、オシムさんがこうした狭い視野であれば、重視しているミーティングで居眠りをする選手を試合で使わないだろう
しかし、サッカーとは、試合とは、そういうことではないことを、オシムさんは知っていた
どんな可能性がどこに、だれにあるのかなんて、わからないのだ
やることをやらないリレーの代表がみんなに走ることで認められ、人生が変わることだってある
大切なことを見極められる教師でありたい

監督というものは心理学者であり、教育者でなければならない

オシムさんはみんなの前でしかることも、ほめることも、心理学的レベルで考えていた
誰だったら、しかってもよいのだろうか?
しかって傷つくよりも、やる気になる選手もいる
みんなの前でほめることは、他の選手の嫉妬になることもある
そうしたことを考えて、しかることもほめることも、人を選んでいた
ただ、練習中にいいプレーをした時には、大きな声で
「ブラボー」
と言って手をたたいた
考えて走ったプレーに対しては、誰であろうと称賛したのだ
練習での称賛は、選手全員にしてほしいプレーを示すことになる
練習そのものの面白さに加え、称賛で意欲をかきたてていた
まさに、あるべき教育者の姿である

                    三浦健太朗

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