ヴィトゲンシュタイン「論考」

ヴィトゲンシュタインの「論考」。
理解できたとはとても言えないのだが、世界を論理で分解していく過程がとてもいい。研ぎ澄まされ、洗練された文章にほれぼれする。

「1 世界は、そうであることのすべてである。」から、「7 語ることができないことについては、沈黙するしかない。」まで、ヴィトゲンシュタインは言葉を用いて、世界の在り方を証明していく。
「1.1 世界は、事実の総体である。事物の総体ではない。」。つまり、起きたことが世界であって、現実に存在する物質の総体ではない。

カントは「純粋理性批判」において、各個人によって世界の見え方が違う、つまり、人の数だけ世界が存在する、という論を展開していた。それを踏まえると、「論考」の「世界は事実の総体である」という言葉も(人それぞれの「事実」があると考えると)、人の数だけ世界が存在する、と解釈できるのではないか。

「論考」では、世界の限界を規定する。それは、言葉で説明できるものと、できないものの間に引かれる境界線だ。「5.6 私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する」。つまり、世界の限界は人それぞれなのだ。
シンプルで的確な表現によってヴィトゲンシュタインは世界のすべてを説明しつくしたように感じる。説明できないものは存在しない、という論理は、説明を放棄しているようでありながら、実際にそうだ。個人にとって、認識できないものは存在していないのだから。

小生はアラブの富裕層がどんな暮らしをしているのか説明できない。この世界がどんな風に成り立っているのかも知らない。妄想を膨らませることはできるが、ヴィトゲンシュタインの論理を用いるなら「事実」ではないのであり、存在しないのだろう。しかし、自分が成長することによって「世界」は拡大して、深まっていくのだろう。
「論考」は時間をおいて繰り返し読む価値のある本だ。しばらくしたら、また読むことにしよう。

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