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第4回 久々の日本食とか。

 マンションの部屋に戻って、リビングにいくと、真理子がソファに座ってスマートフォンをいじくっていた。

「ただいま」

 洋介は向かいのソファに座った。真理子は一瞬顔を上げたが、すぐにスマートフォンに戻った。洋介はスーツケースからアイルランド土産のお菓子を取り出した。真理子はぎょろぎょろした目でそいつらを眺め回して、「ありがとう」と言った。そしてまたスマートフォンに戻った。

 洋介は風呂の給湯リモコンのボタンを押してから、仕事部屋にスーツケースを運んだ。
 室内は熱気がこもっていた。エアコンをつけてから、荷物の整理をはじめる。洗濯物を脱衣所に運んで洗濯機に突っ込んだり、本やデジカメなどを所定の場所に戻したり。スーツケースが空っぽになると、クロゼットにおさめた。

 改めて部屋を見回すと、不在中に真理子が掃除をしたらしく、物の位置が少し変わっていた。パソコンを立ち上げてメールをチェックした。何通かのメールに返信をした。ついでにフェイスブックにログインした。真理子が自分のページを更新していた。洋介が渡したばかりのお土産の写真が投稿されていて、「おみやげもらいました」というシンプルなコメントがついていた。とりあえず「いいね!」を押しておく。

 いつも覗いているホームページをチェックしたりしているうちに眠くなってきた。これはいかんとベランダに出て深呼吸をしてみた。暑さで汗をかいただけで、眠気は覚めなかった。

 浴室にいくと風呂が沸いていた。ネットサーフィンをやめて、風呂に入ることにした。

 ていねいに体を洗ってからバスタブに体を沈めた。アイルランドではいつもシャワーだったから、お湯につかるのは久しぶりだった。「あー」なんて声を出して、目を閉じたら、あっという間に眠りに落ちていた。

「大丈夫?」

 真理子の声で目が覚めた。洋介は目を開けた。中折扉に、脱衣所にいる真理子のシルエットが映っていた。

「眠ってたよ」

 洋介が答えると真理子の影が消えた。洋介は風呂から上がった。頭がすっきりとしていた。

 リビングにいくと、真理子がアイスコーヒーとハーゲンダッツのアイスクリームを出してきた。アイルランド土産はどこかにしまわれていた。消えた土産は二度と現れない。いつものことだ。
 アイスクリームを食べながら洋介は話した。

「アイルランドでは肉とじゃがいもばっかり食べていたんだ」

「他の食べ物はないの?」

「もちろんあるけど、スーパーで買い物して自分で料理していたからさ。手軽に料理できるから、いつも同じものばかり食べていた」

「ハーゲンダッツは?」

「あると思うけど、探さなかった。甘い物はチョコとかクッキーを食べていた」

「どうして探さなかったの?」

「探すということ自体思いつかなかった」

 おやつを食べ終えるとまた睡魔が襲ってきた。

 寝室にいって、ベッドで横になった。仮眠程度にしておくつもりだったんだけど、本気で寝ていた。

 夕食の時間になると真理子が起こしにきた。ダイニングのテーブルには焼き魚や刺身が並んでいた。

「白米とか味噌汁とか、すごい久しぶりだな」

 真理子は「たった十日なのに」と言った。カレンダーの日付を数えてみると、真理子の言うとおりだった。それがわかったからって、久しぶり感が薄れるわけじゃないんだ。

「普通に食べている時ももちろん感謝してるけど、食べられないと本当に辛いんだ」

「食べ物程度に大げさだよ」

「真理子も、日本食のない地域にいったらわかるよ」

「でも仕事でいったわけでしょ」

「そうだけど」

「食べ物もあるわけだし」

「肉とじゃがいも」

「私はいかないし」

「そうすか」

 洋介はご飯と味噌汁をおかわりした。

 夜の十時にはふたりともベッドに入った。キングサイズのダブルベッドに並んで横たわった。いつの間にか定位置が決まっていて、洋介は窓側、真理子は廊下側。

 電気を消して数分以内に真理子がすうすうと寝息を立てはじめた。洋介は目を閉じてはいたけど眠っていなかった。

 脳内にイメージを思い浮かべていた。

 アイルランドにあるアラン諸島のひとつ、イニシュモア島の風景。坂道の多い岩だらけの土地。素朴な家がぽつんぽつんと立っている。空の低いところに雲が浮かんでいる。突然雨が降り出して、洗濯物が濡れていく。

 洋介はイメージを再現し続けた。坂道の傾斜を感じてみたり、少し湿り気のあるひんやりとした空気を吸ったり。そういった要素を何度も繰り返し頭の中で反芻した。

 そういう風景の記憶が、頭の中にたくさん残っているんだ。

 チベットのラサの乾燥した、埃っぽい空気。丘の上に立っているポタラ宮の、初期のカラー映画の合成映像を見ているような非現実感。あるいはアメリカのニューオリンズ。暑くてもからっとしている空気。中心街のフレンチクォーターを練り歩く楽団。

 そういう風景を思い返しているうちに、海辺の風景にたどりついた。鵠沼海岸から江の島を眺めている記憶だ。島の上のほうに立っている展望台の上空を鳶が旋回している。何度も何度もゆっくりと。洋介はその記憶を繰り返し眺めていた。

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