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第2回 自営業は、自ら営業。

 南浦和駅から京浜東北線に乗り、赤羽駅で埼京線に乗り換える。新宿駅で中央線に乗り換えて一駅。洋介が中野駅についた頃、太陽はまだ高い位置にあった。

 北口の改札を出たところで坂本武が待っていた。背が高くて強面だから、それだけでも目立つのに、白いスーツに身を包んでいた。武は洋介を見つけると近づいてきて腕を軽く叩いた。

「元気か?」

 洋介は面倒くさそうにうなずいてから聞いた。

「どうしたんだよ、その格好は」

 武は照れ笑いをしながら胸ポケットのネッカチーフに触れた。

ゴッドファーザーパート2を観たんだけどさ」

「デ・ニーロに殺されるマフィアのボスか」

 武はぱっと表情を輝かせた。

「よく知ってるなあ!」

「ゴッドファーザーは観たよ」

「かっこいいよな」

 そう言って洋介のスーツケースをひったくった。

「せっかくお前を迎えにくるんだから、それなりの服装をしたほうがいいと思ってさ」

「ただの海外出張だよ」

「お前は飛行機に乗って海を越えるだけって感覚かもしれないけど、外国なんかいったことのないおれにとっては、一大イベントなんだよ」

「そういうものかな。でもそのスーツはかっこいいから真似しただけだろ」

 洋介が言うと武は「ばれた?」と言って爆笑した。

 中野通り沿いにトゥデイが止まっていた。武の部下の小泉が運転席でスマホをいじっていた。巨大なアフロのせいで頭が一・五倍くらい大きく見える。

 武は助手席にスーツケースを押し込んだ。ふたりが後部座席に乗り込むと車が走り出した。洋介は武にお土産を渡した。ジェムソンを奮発したのだが、武は首をかしげた。

「なんだこれ?」

「アイリッシュウイスキーだよ」

「酒なのはわかるけどさ。おれは焼酎ばっかり飲んでるからな。小泉、お前知ってるか?」

「有名ですよ。高いんですよ」

「じゃあ美味いのかな」

「安酒ばっかり飲んでいる舌だと、味がわからないかもしれないです」

 武はジェムソンの箱を抱き抱えた。

「うるせえな」

 ロータリーを回りながら小泉が聞いた。

「このままマンションにいってしまっていいですか?」

 洋介はハンカチで顔を拭きながら「あ、いや」と止めた。

「申し訳ないんだけど、その前にいくところがあって」

「いいっすよ」

 西武新宿線の沼袋駅のほうに用事があった。

 このあたりは、建て売り住宅やマンションもあるが、昔からある邸宅もちらほらとある。その中でもひときわ広い敷地の家の前で洋介は車を降りた。

「終わったら電話してくれ」

 トゥデイが走り去ると、あたりが静かになった。寺にありそうな門の脇でインターフォンを押した。少し間をおいてスピーカーがじっと音を立てた。

「どちらさま?」

 洋介が名乗ると、通話がぶつっと切れた。しばらく待っていると、大きな門の脇にある勝手口が開いた。洋介は腰を屈めて中に入った。そこには黒いスーツを着た背の高い男が立っていた。七十歳を越えていると思われるが背筋はまっすぐに伸びている。この家の執事だ。

「お待ちしておりました」

 執事は作り笑いすらしなかった。

 小道を歩いていった。雑木林を通り抜けていくと、温室があった。執事が扉を開けた。洋介が先に入った。

 室内には熱気がこもっていた。入り口近くには洋介の腰くらいの高さがあるリュウゼツランが長い舌を伸ばしていた。カカオやバナナの木も植えてある。サボテンや多肉植物も多い。中央の小道を進んでいくと母屋側の端にティーテーブルが設置されていた。車椅子の老婦人が待っていた。洋介が挨拶をすると老婦人は椅子を勧めた。

「さっき水やりをしたから余計に暑いでしょう」

 飲み物を尋ねられて、「同じ物を」と答えようとしたが、老婦人の手元に置いてあったのは温かい紅茶だった。

「……冷たいものならなんでもいいです」

 執事が会釈をして立ち去った。

「お土産です。なおさら暑くてすいません」

 洋介がアランセーターを差し出すと、老婦人は目を輝かせた。

「私もあの時買ったわ。懐かしい……」

 老婦人はセーターを膝の上に置いた。アイルランドのことを聞きたがった。

 夜、空港からバスでダブリンに向かう時に霧が出ていたことや、ホテルを探している時に道を聞いたら、通行人が途中まで一緒にいってくれたこと。またはアイリッシュコーヒーのほろ苦い甘さや飲み終わった後に胃の底にぽっと灯った温かさ。ゴールウェイ行きのバスが出発した途端に乗客たちが一リットルサイズの炭酸ジュースを次々に飲みはじめたことなど、思いつくままに話した。話せば話すほど、細かいことを思い出した。

 執事が運んできたアイスティーが空になる頃に、土産話が底をついた。

「私が若い頃とあまり変わらないのね」

 老婦人が言った。洋介はハンカチで額の汗を拭った。

「お預かりしている記憶に補正をかける作業をします。それが完了したらまたお伺いします」

 執事に先導されて、入ってきた扉から温室を出た。そこでふっと息を吐いた。雑木林の手前に白いワンピースを着た若い女が立っていた。つばの広い、白い帽子を被っている。洋介は軽く頭を下げた。女が聞いた。

「お婆さまのお友だち?」

 女は帽子を取った。長く伸ばした黒髪が揺れた。切れ長の目が老婦人に似ていた。女はと名乗った。

「お友だちじゃないとすると、なにかのお仕事をお願いしているのね。なにをお願いしているのかしら」

「守秘義務があるので」

 洋介が断ると、蝶は執事に「この方はどなたかしら」と聞いた。

高嶋洋介です」

 執事の代わりに洋介は自分で答えた。蝶は口の中で繰り返した。それから洋介の目をじっと見つめた。「ふーん」と言って一歩下がった。

「またお会いしましょう」

 そう言って母屋のほうに歩いていった。執事に促されて洋介は雑木林を抜けた。執事が言った。

「蝶様は高校三年生です。好奇心旺盛な年頃です」

「では僕は自分の仕事について話さないほうがよさそうだ」

「そうですね」

 門のところにつくと、執事は訪問の礼を言った。洋介はきた道を振り返った。誰もいないのを確認してから言った。

「今日の訪問は阻止されるのかと思っていました」

 執事は首を横に振った。

「私はそのようなことは……」

「僕が仕事を受けるのに反対していたから」

 執事はうなずいて、詫びた。

「あの話はなかったことに」

「気が変わった、と」

「私はそのような身分ではございません」

「主人が思い出にふけって生きるようになっては困る、という思いやりかと……」

「その気持ちは今でもあります。しかし、もうその話は忘れていただければと思います」

 洋介が外に出ると、執事が扉を閉めた。携帯電話で武に連絡した。しばらくしてトゥデイが迎えにきた。洋介は後部座席に乗り込んで窓を開けた。武が文句を言った。

「冷気が出ていっちゃうだろ」

 小泉が助け船を出した。

「僕が煙草吸ってたからっすよ」

「しょうがねぇなあ。おい、車出せ。もうマンションでいいんだろ」

「お願いします」

 洋介が頼むと小泉がアクセルを踏んだ。

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