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日本人の、豊かな暮らし 【後半】

心から望むことは、得られる。
それは本当のことなのだと実感している。
数年前に「これだけのお金が必要。となったらそれは得られる」という話を聞いてはいた。それが今になって腹に落ちた。

また、私の恩師が座右の銘とされていた言葉を思い出す。
「叩けよさらば開かれん。求めよされば与えられん」

話は【前半】から続く。

私にチクチクをぶつけてきた人は、望むものがあったのだけれど、実際に見ている範囲が家庭と、そこに集まってくる人に、ほぼ限られているように思われる。勿論、それは私が見える範囲のことなのだが。

私は、もっと視点を高く持ち、広い世界へと拡げることを望んでいた。それは、はっきりと自覚されるまでは気づかないものだった。気づかないようにしていたようにも思う。それは、性格や周囲の人との兼ね合いでそうしていた。身を潜めていたのだ。身近な人はドリームキラーになりやすいこともある。実際そうだった。

さて。感性により、衣食住は十人十色となる。
日本の山地海は神々がおわしまし人によって繋がり、整えられしてきた。今整えられ調和している場所は、祖先の働きによって残され伝えられた美と知恵の結晶、生きた形見なのだ。

生死によって生まれ変わり、つまり新陳代謝してこれからも連綿と続けられていく。

富める人は大きな愛で地域を見渡し、多くの人々に貢献し、自然や人からいただいたエネルギーを還元する。これこそが望ましい、本来の日本人の姿、本来の日本人の力ではないだろうか。

失敗は依然としてある。それぞれの身に起こる。恐れて外に向かうことができない時もある。多かれ少なかれ、恐れで縮こまる、愛で広がるの繰り返しのように思われる。それでもとにかく日本の祖先には偉人が多く、驚くような利他の精神による貢献をした方々が数多おられる。

失敗したとき。心を向け、実際に手を差し伸べてくれる。言葉を尽くしてくれる。
私自身はそんな営みをここ、博多で実感することになった。これまでに感じたことのない、人の温情あたたかさに支えられて、やっと奮い立つことが出来るのを感じている。
一人の人間が自立するのには、沢山の応援や支えがあってなされることだと思う。

こういったことは、誰の身にも起こるべくして起こることであると思う。
武田邦彦先生のおっしゃる絡合(らくごう。絡み合いのこと)と同じではないだろうか。

私の前で知識は輝いて通り、記憶とは関係なくいってしまう。私は生きながらにして同時に死んでいるかのようだと思う。
生きながらにして死が通り抜ける。これは真理なのであろう。

話は元に戻るけれど、私は本来の私、ひいては今の日本人が正しい位置に戻り姿勢を戻し、素直な心に立ち戻って「本来受けとるエネルギー、形」豊かさに与ることが出来ると思う。

ただ絞られ、ねじ曲がったものを緩め、解き、戻す作業をするためには、直向きに学ぶことが必要となる。

まだ詳しい説明も聞いていないし、どうなるかもわからない話ではあるけれど。ひとつの視点として私に起きた経験を語りたい。
私は経営者の方を顧客とすれば、多くの人と関わり、従業員とその家族を守って一所懸命に働いておられる人々に見合った、大きな視野及び高い視点を持って働くことになる。
そしてそれに見合ったエネルギー(お金や物、人、自然、愛)を受け取ること、いただくことは自然の摂理にかなうことと思われる。

今回そこへのチャンネルに気づかせてくれる人と出会ったことは大きい。
私は小さな頃から自分のことを変わっていると思ったことはない。ただ、周囲と合わなかったり、生き辛さを感じることはあっても、自分がおかしいとは思わなかった。肩身の狭い思いは沢山してきた。
いくらか話をして、彼女は同じような気持ちを味わいながらご自身の道を切り拓いて来たのだと感じた。見初めてもらったことはありがたい。

その人は言う。
「縁や機会をつかめる人はつかむ。そうでない人もいる」

「あなた、やるでしょう?今まで出来なかったかどうかわからないけれど、今のあなたには出来るでしょう?」と、その人の表情やイメージで、私の心に語られるように思う。
それは自分自身の声でもある。

実際にどれだけできるかはわからない。しかし私には、彼女と同じような、希望、明るい展望がある。自分がそう思えばそれが現実になる。
真実を捉え、笑顔で明日へと向かう力がある。

こういった思いは誰の心にもあって、自分でそれに目を向け気づき、温かい声をかけて育てて強く大きくしていけるかどうかだけなのだと思う。

そしてそれが始まったら。周りの仲間と励まし合いながらやっていくことが出来る。

日本人の強さは、こういうところにあって、だからこそ江戸時代には世界で一番庶民が豊かな暮らしをしていた国といわれたりもしたのではないかな…


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