2021年10月24日の読売新聞より

「デジタルアート「境界」なくす」(猪熊律子)

 猪子寿之〈西洋の絵画はレンズと一緒でパースペクティヴ、つまり遠近法で物を切り取るから境界ができ、視点が固定されますが、日本の古い絵画はそうではない。〉視点が固定されない大和絵など。言語芸術もそうかも。

〈人は、ほうっておくと世界を認識する時、境界だらけにしていくと思うんです。(…)言語で何かを認識した途端、境界だらけになる。(…)境界だらけの世界は分断を強める恐れがある。〉言語によらない認識。他者との分断ではなく繋がりを感じ、自分が世界と連続していることを実感できる作品。

〈体で感じて初めて人は心から納得します。20世紀という時代は、あまりに体を捨てすぎたと思うんですよね。〉このデジタルアートの話、とても面白かった。美術だけでなく、短歌にも関わる。昔の日本美術の空間認識などが、短歌の視点の持ち方や私性にも関係していると思った。

 東京お台場にあるデジタルアートミュージアム「チームラボボーダレス」。一回行ってみたい。

2021.10.25.Twitterより編集再掲