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『塔』2022年4月号(1)

鬼、仏そして私 いづれにもムがあつてムはよこしまと訓む 永田和宏 そうなのか。鬼も仏も私も邪な部分があるのか。鬼と私はしょうが無いとして、仏も?でもそれにちょっと救われる気がする。 

どのような唇(くち)が最初に触るならん楽器店頭フルート光る 三井修 店頭のフルートを眩しく見つめている。「光る」がいい。どのような唇が最初に触れるのだろう…。奏者と楽器の恋にも似た関係。

子とわかる固き靴音冬の日のドアの前に今止まりたり 前田康子 映画のような場面。母親には子どもが靴音だけで分かるのだ。一歩一歩近づいて来るのが分かる。そして今止まった。これからドアを開いて入ってくるのを待つ気持ち。

目をつむる初孫を褒む遮光器土偶みたいと思ひしことは伏せおき 小林信也 分かる。全ての生まれたての赤ちゃんは遮光器土偶みたい。でもそれを言うと角が立つので言わないのだ。心の中では案外みんなそう思ってたりして。

死ぬほどのことなどあらぬ人生で死にたいほどに悩みいしこと 新井直子 全体に冷静な把握なのだが、下句に切実さがこもる。私たちは往々にして死にたいほど悩む。時がたてば、上句のような境地に至るのだが、その時点では深刻なのだ。

バランスボールに乗りつつ上下に揺れてゐるけふも部長は画面の中に 澤村斉美 四句まで読んで、えー?職場で毎日何やってんの?と思うが結句で納得。Zoomか何かなのね。語順の妙だ。…でもちょっと待って。Zoomにしたって、何でこんな画像流してるわけ?

歳月を溶媒として溶けるならそれはもとからなかった言葉 永田紅 誠実に発された言葉なら歳月を経ても変わらないはずだ。時間を言い訳にすることに注がれる眼差し。溶媒という理系用語がこの作者の特徴でもある。

⑧浅野大輝「短歌時評」安売りの刺身につひに手が出せたよろこびに鰺のたたき味はふ/ただ一枚ありたる紫蘇を挟みしがもつとも深き味を出だせり〈山下翔作品の魅力のひとつは、複数首で語ることに振り切っているがゆえに生じる一首の軽さである(…)この思い切りの良さがとても清々しい〉
 最近、連作本位の歌と一首本位の歌がかなり、変わってきたように思う。どちらかと言うと、連作本位が減り、一首本位が増加しているように思う。その方が短歌を読み慣れない読者も読みやすいから、というのもあるかもしれない。だが連作ではその中の一首が思いがけない力を持つこともまた事実だ。一首本位で作られた歌を並べて連作にするのは意外に難しい。
 この時評の最初の部分が最近の自分の問題意識と重なっていて注目した。この時評の最も納得できるのは最後の部分。

⑨浅野大輝「時評」〈言語表現としてはすべてを自身の制御下におく歌も想定できるが、そのときあるのは制御可能なもの、既に自身の側にあるもののみだろう。そこに本当におもしろさはあるのか。〉この部分とこれに続く「おもしろさ」についての論に深く頷いた。塔のHPからお読み下さい!

⑩吉川宏志「青蟬通信」〈平井弘の歌は明確に言い切らないので朦朧としている。(…)絶対的な正しさなど存在しないという思想を、不明瞭な文体を極めることで、平井は生涯をかけて貫いてきた。〉特に第三、第四歌集は不明瞭さが際立っている。吉川のこの文は第四歌集についてだ。
〈わざと曖昧に表現し、何かをほのめかすのが、平井弘の方法であった。〉現在、他の作者にもこうしたはっきりと分からないが、何かをほのめかしているような方法が取られていることがある。その曖昧にされているところに核となる何かがあるかどうかの見極めが必要だろう。
 吉川の平井の歌への読み解きがスリリングだ。「青蟬通信」は「塔」のHPから読めます。

⑪永山凌平「塔新人賞受賞のことば」〈なぜ短歌をやるのか(…)一つは自分の知らない自分に出会うことです。短歌を詠むことで、自分はこんなことを感じていたのか、自分はこんな発想ができるのかと驚くことが多々あります。〉まずは新人賞受賞おめでとうございます。
 この受賞のことばには大いに賛同する。おそらく定型が連れて来るのだろう。散文で書いていては出会えない自分だ。今月の浅野大輝の「短歌時評」とも重なる部分があると思う。この自分に出会うとなかなか短歌から離れられない。詠む側でも読む側でも。

年上の派遣社員を一枚の桂馬のごとく動かしてをり 永山凌平 この連作の背後に将棋が喩としてある。年上の派遣社員と主体は微妙な関係性だが、ポイントは「一枚の」にあると思う。おそらく礼儀正しく接しながらも軽く見ている。そんな主体の心情が良く表れている。

労いの言葉はいつもサボテンに水をやり過ぎないやさしさで 朝野陽々 塔新人賞受賞おめでとうございます!植物に水をやるのは基本やさしい行為だが、サボテンはやり過ぎると傷んでしまう。与え無くても与え過ぎてもいけない、加減を測りながら労いの言葉をかける。ある種の冷静さ。

洋梨が剥かれゆくような明るさに別れ来し人を一人一人思う 金田光世 塔短歌会賞ご受賞おめでとうございます!
 洋梨の面の白さが感じられる上句。下句は、八九と重いが、それが洋梨の形と呼応する。ゴツゴツした韻律だが、内容は繊細で共感性が高い。

傷つけにゆくからどうか傷ついて 水面凪ぐときさながらひかり 中田明子 相手を傷つけにゆくのは、自分が傷ついたからだろう。相手にも同じだけ傷ついてほしい。それはほとんど祈りだ。相手が何とも思わなければ、自分はさらにどうしようもないほど傷ついてしまうからだ。

⑯「選考座談会」中田明子作品について 吉川宏志〈リズムで屈折を入れるのが、現代の流行ではあるんですね。口語だと単調になりやすいから、細かく言葉を切ってゆく。文体をよく考えて作っている人だと思います。〉こういう選評は作者以外にも本当に参考になる。

⑰「選考座談会」総評 永田淳〈事実を事実のまま歌っているような、短歌にすることの何か必然性というものがない一連が目について、それはもったいないなと(…)〉これは結構、根の深い話で、小学校の作文の指導でも、変に凝ったり気取ったりせず、事実を事実のまま書きましょう、と習ったものだ。短歌をするようになって、アララギの教えは小学校の作文の指導に似ている、どちらも大正期に端を発するからか、などと思っていた。私もずっと、事実を事実のまま歌う、のは一つの方法だと思ってきたのだ。初心者には今もそう言わないだろうか?そのへん、どうなんだろう?
 それでは短歌にする必然性がないと言われたらそうかも知れないが、困る。あとそもそも事実を事実のままになんて書けるのかとか、リアリズムに関する問題でもあると思う。

⑱「塔短歌会賞候補作」私の連作「北からの風」を吉川宏志・山下泉、二人の選考委員が選んで下さいました。ありがとうございます。
川(ベツ)幾つ濁る緑の血管が大地の白い胸を流れる 川本千栄

2022.5.21.~27.Twitterより編集再掲