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『短歌研究』2022年11月号

蜘蛛の糸くらいの覚悟できみと住み今年の秋も栗をたべおり 富田睦子 蜘蛛の糸は儚く弱いことの喩だろうか。芥川の小説のように意外に頑丈なものか。プツンと切れる、頼りないもので、対照的に栗はどっしりと安定していると取った。主体は、糸が切れても栗は欠かさないのでは。

②吉川宏志「1970年代短歌史」〈性を秘めるように歌うのではなく、自然なものとして健やかに表現しているところに、河野裕子の歌の新しさはあったのだ。ただその一方、 青林檎与へしことを唯一の積極として別れ来にけり (…)のように、繊細な恥じらいを詠んだ歌もある。野性的な強さと、内省的な静けさ。その両面が存在していることが、この歌集に豊かな広がりを与えている。〉
 今月は河野裕子と佐佐木幸綱。この連載では時代背景も詳細に語られているため、一人の歌人の歌集だけ見ているのとは全然違って立体的に、歌が歌人像が立ち上がる。
 吉川は、同時代人が書くよりも、広い視点で短歌史を含む歴史を捉えていると思う。1970年代という、今までの短歌史で一番記述の薄かった時代がくっきりしてきた。そんな吉川が描き出す河野裕子の魅力。こういう河野論、また70年代史を待っていた。

2022.12.2.Twitterより編集再掲