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角川『短歌』2022年3月号(1)

①特別企画「生誕160年落合直文」これは本当に素晴らしい企画。近世和歌と近代短歌の繋ぎ目にいる人、という認識だったが、国文学者・国語学者としての業績も知って、その存在の大きさを改めて思った。落合直文に感動、企画に感動。

②三枝昻之〈「新派和歌の種子を蒔いた人をと云ふと、我々は第一に、故落合直文氏を推すべきである」。窪田空穂は明治四十二年刊行の新派和歌最初の短歌原論『短歌作法』でそう断言している。〉直文に「新派」の意識があったのかな。後世から考えて新派の元になったということか。
 新派和歌という言葉はいつぐらいまで使われていたのだろうか。

③三枝昻之〈国文学の隆盛に比べて、その中心となるべき歌学は低調だ、という判断が先ずあった。だから歌学を奮いたたせるために雑誌創刊は意義があるとなる。(…)貴族や老人たちだけが楽しんでいる現状を否定、歌が盛んになるためには国民に、特に若者たちに広がる必要がある、と思い切った提起である。〉三枝の文で当時の「青年有為の人々」が直文のもとに集まったこと、なぜそんなに直文が人を引き付けたかについて語られる。直文の国文学者としての業績の大きさを教えられる文だ。歌と国文学が密接不可分の時代だったという印象を受けた。

④安田純生〈鉄幹は「美声の持主」で、いつも歌会の披講の任に当たっていたという。「大立者」と自他ともに認めていたとするならば、師の立場にあるとはいえ、直文も添削しづらかったに違いない。〉もちろん直文の偉大さを記した文なのだが、安田の文はこういう小ネタが面白い。
 声は本人と共に死ぬから残らない。特に録音機器が気楽に使えない時代は。鉄幹が「美声の持主」とは初耳だが、そうかも知れないなあと思う。美声とかの、文献で再現し難い魅力を取り払うと、分かり難い人物なのかも知れない。

⑤三枝昻之「直文ガイド」文章が並ぶ中にあって、これも文章と言えば文章だが、レイアウトがチラシ風でとても見やすく読みやすい!そして三枝が書いているから知識としても確か。自作Q&A風の書きぶりが楽しい。記念館の計画が震災で白紙になっていたとは驚いた。

⑥鼎談「未来につなげる落合直文」今野寿美・吉川宏志・梶原さい子
梶原〈落合直文記念館が建設予定だった年に東日本大震災があって、駄目になってしまった。お金の面もそうですが、直文の書とか近隣の方がお持ちになっていた資料が、津波で流されてしまった。〉今回の特集で知った。 
 もう歴史上の人物という感じだが、近隣の方が資料をお持ちになっていた…というところが、ちょっとびっくり。歴史が今に繋がっていたのだなあ。でもそれが津波で流されてしまったというのが本当に残念。

⑦鼎談 今野〈そういう地元の盛り上がりのきっかけになったのが前田透さんだった。前田さんの『落合直文ー近代短歌の黎明』は、実は最近になって読んだのですが、和歌から短歌へという運動を先導した歌人・直文という位置づけが見事で素晴らしかった。〉落合直文の見直しも意義があることだが、そこに前田透が関係していることに驚いた。前田透の歌のファンなのだが、評論はあまり読んでいなかった。前田透の業績は最近ほとんど顧みられていない。直文と共に前田透の見直しも進めばいいと思った。

⑧鼎談 吉川〈自分と無関係な他者を歌うというのが近代短歌の始まりの一つのメルクマールという気がするのです。古典和歌では、自分と無関係な他者はあまり歌われないのですが(…)近代になって国民意識が生じてきて、あの人もこの人も自分の同胞なんだという感覚が生じてくる。そこから、見ず知らずの他人の人生を感じ取る歌が出てくると、私は考えているんです。〉これはとても大切な指摘ではないか?他者をどう描くか。私も実は最近これと近いテーマで文章を書いていた…。近代短歌のメルクマールとは気づいていなかったが、何となくそこに論点は感じたのだ。

⑨鼎談 今野〈「いつはりの人ほど歌はたくみなりうちうなづくな姫百合の花」これはどうなんですか。〉吉川〈嘘が上手い人ほど短歌は上手なんだと、短歌で短歌について歌うメタ的な表現が、まず面白いですね。でも、姫百合の花に向かって、その考えに賛成するなよと言っている。〉 
〈(…)自然に対して命令する、呼びかけるというのは、現代短歌でも新鮮さを持っている感覚じゃないかなと思うんです。〉とても現代的な感性で、好きな歌。特に上句が好きだ。うなずくように揺れる姫百合の花に対して、もう一度自分の上句に対して思いを巡らせているような下句も効いている。

2022.4.14.~17.Twitterより編集再掲