『短歌研究』2022年9月号
①夢想家は、ああつひにリアリストに敗けるのか瑠璃糸蜻蛉つかめば消えぬ 日高堯子 美しい瑠璃糸蜻蛉は掴んだその時に消えてしまう。そのように夢想家の夢も消えてしまうのか、と儚む主体。リアリストより夢想家に心を寄せている。負けて消えるからこそ美しいのかも知れない。
②ガラス越しにわれを認めて妻は手を伸ばせり拘束の許す範囲で 桑原正紀 とても辛く悲しい歌。ずっと総合誌でこの作者の作品を読んできた。妻が誤嚥性肺炎になり点滴に繋がれ、拘束され、もう次は終末期医療しかない。それでも作者をガラス越しに認めて手を伸ばしてくるのだ。
③自然主義に美文が席捲されてゆく経緯のあはれ必然なれど 桑原正紀 文学史を辿りながら詠っているのだろう。けれども現在の短歌の状況でも同じようなことが言えるかもしれない。ひたすら美しく詠う歌と、現実から目を離さないリアリズム。この対比が常に存在するのだと思う。
④ジュリエット十四歳の純真は今なら気候変動へ向かん 松村由利子 ロミオとジュリエットのジュリエットは十四歳だった。その純真は恋愛に真っ直ぐに向かって行ったのだ。しかし21世紀の今、それは気候変動に向かうだろう。グレタ・トゥーンベリがしたように。
⑤映像をじつと見てをればなにがしか貪る感じまして熱暑に 米川千嘉子 テレビかネットニュースか、ある程度の時間、映像をじっと見ている。その時自分がその映像やニュースを貪っているような感覚を持つ。これはよく分かる感覚。まして熱暑、頭がくらくらする感じもあるだろう。
⑥時が家族を組み立て壊すと知らぬころすすき花火はしうしう噴いて 米川千嘉子 家族は時間によって組み立てられ、壊されると把握する。子供とその祖父母と花火をしていた時、つまり組み立てる時は、壊れることを考えていなかった。子供は巣立ち、親は老いる。自分も老いるのだ。
⑦万歳をするやうに上がるたくさんの手が葬列にスマホをかざす 大口玲子 安倍元総理の銃撃をテーマにした歌。以前なら写真を撮ることが憚られるような場面でも、今は誰もが写真に撮る。スマホをかざす手はまるで万歳のように上げられる。常識と非常識がゆらぐような不気味な歌。
⑧被害者がやがて加害者となることのねぢ花のごとく静かなねぢれ 大口玲子 一首前に息子と映画を観ている歌があるので、そのストーリーに関する歌だろう。しかし安倍元首相の銃撃事件を通奏低音にした一連なので、その犯人のこともあるのかも知れない。あるいは他の事件か。
⑨空襲を知らず防空壕を知らず 開け閉めをする夜(よる)の冷蔵庫 小島ゆかり 夜に冷蔵庫を開け閉めすると意外に大きい音がする。そこから空襲や爆撃へと空想が到った。防空壕に入ってその戸を開け閉めしたこともない。それでも狭い冷蔵庫の内部に、防空壕の閉塞感を連想する。
⑩ひるがほのひとむらながく花そよぐあとさきありていまそよぐ花 小島ゆかり あとさきありて、といえば土屋文明の「終りなき時に入らむに束の間の後前(あとさき)ありや有りてかなしむ」が思い出される。これは花の咲く時のずれを詠っている。四句から結句で時間を意識させる。
⑪青空に穴あけながら揚羽飛びその穴つぎつぎ青空が閉づ 川野里子 揚羽蝶が飛んで行く時の残像を「青空の穴」と捉える。蝶が移動することによって残像も移動するのだが、それを青空が「閉づ」と捉える。蝶が飛ぶ歌は多いが、この把握はかなり独特だ。不全感が感じられる。
⑫幼き息子吊り橋なかばに揺れてをり夢ならばなほ迎へにゆけず 川野里子 もう成長した息子なのに夢に出て来るときは幼い。そして助けを求める場面にいる。助けなければと思うが夢の中の身体が動かない。自分の命より大切なものなのに、身体が言う事を聞かないのだ。
⑬燃え落ちる橋を画像に見てをりぬわたしのなかに仰け反る橋が 川野里子 橋は境界の象徴だ。橋を落とされたら、境界を越えて移動することができなくなる。戦争の動画だろうか。境界を越えるはずの橋は自分の中にもありそれが仰け反る感覚が起こる。その橋も燃えているのだろうか。
⑭はじめから曇れる声にやすやすと母親われの弱点をつく 佐伯裕子 息子が話始める、その最初から声が曇っている。どうしたのか、とどきりとしてしまう主体。息子を心配する母の気持ちを息子は熟知していて、そこをついてくる。分かってやっていると分かっても心配してしまうのだ。
⑭吉川宏志「1970年代短歌史 連合赤軍あさま山荘事件1972年」〈二月二十八日のあさま山荘への警察の突入はテレビ中継され、NHK・民放合わせて約九〇パーセントという史上最高の視聴率となった。〉視聴率90%て…。見ていない人はほぼいない状態では。もちろん私も見ていた。
その後山岳アジトでの凄惨なリンチ事件が発覚する。〈反権力の突端にいた若者たちが陰惨な事件を引き起こしたことで、学生の政治活動に対する疑問が広がってしまったのだ。この影響は現代も残っていると言えよう。〉この事件の時私は子供だったが、強烈なショックを受けた。大人はさらにだろう。
〈後に、あさま山荘事件は意外な形で短歌に関係してくる。死刑判決を受けて上告中だった坂口弘が、一九九八年以降、小菅留置所から「朝日歌壇」に投稿しはじめたのだ。〉連合赤軍とは何か、から時代への影響、さらに短歌への影響までを読み解いた論。内田守人の歌の解釈には強く関心を惹かれた。
2022.9.30.~10.8.Twitterより編集再掲