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『塔』2022年10月号(2)

風車をまわす大きな風よその指でわたしの過去も毟ってほしい 田村穂隆 風車を回す風の指。その強い力で私の過去を毟り取ってほしい。そして無かったことにしてほしい。詩想に満ちた一首。映像的でもある。風の指が読者の心にも痛みを以て触れてくる。

午後五時は川が鏡になる時刻わたしのなかの鏡も濡れて 田村穂隆 夕陽の加減だろうか。川が鏡のように見える。波が少なく平らか。それと主体の中の鏡が呼応する。何をも映さず、ただ川と呼応して濡れる鏡。そんな鏡が自分の身体の内部にあることを、多分読者もこの歌で気づくのだ。

こじあけて一生(ひとよ)を内にねむりたいが樹は扉ではない諦める 田代祐一 大きな樹を見つめているのだろう。この樹の内部に入り込んで一生眠っていたい。そこで突然、樹は扉ではない、という思いが湧き、諦めてしまう。まるで最初から諦めることになっていたかのように。

何があっても必ず許そう 胸底でアイリスが燃え続けているから 朴木すみれ 上句の祈りのような決意に打たれる。自分が傷ついても、だろう。その理由として胸底で燃えるアイリス。結句八音がとても長く感じる。燃え続ける、の「続ける」を体現するかのように。

すれ違うごとに生まれる風のなかずっときれいごと歌ってよ 北虎あきら 人と人とがすれ違う度に風が生まれる。単なる身体同士のすれ違いと、心のすれ違いの両方を指していると取った。その風の中できれいごとを歌っていてほしい。「きれいごと」は誉めても貶してもなく、ただ冷静だ。

正しさが通り過ぎゆくバス停の列に見上げる街路樹の花 山尾閑 二句切れと取った。主体は自分が「正しさ」の側にはいないと思っている。正しい正しくないという判断から離れて、バス待ちの列に身を置いている。そして見上げる街路樹の花。花も価値判断は持たず、ただ咲くだけだ。

⑳「十代二十代歌人特集 エッセイ」今回は歌も良かったけど、エッセイも良かった。何か元気をもらったり、しんみりしたり。少し写してみる。
長井貴志〈趣味というのは、もっと平和で安定した、柔らかい行為なのではないか。/書けるから、書いているだけなんです。〉
佐竹栞〈年を重ねると色々わかるのかと思っていましたが、わからなさの質が変わっていくだけで、結局むつかしいことは多いです。〉
小島涼我〈私は新しいものを開拓していく人の後ろで、ゆっくり地面を固めていくような人になりたい。〉
後藤英治〈自分自身の本当の気もちというものは、見つけ出すのが難しい。〉
横井来季〈彼がいうには、二首三首読めば一、二頁進むから、コスパがいいそうだ。短歌に対して、コスパがいいという修飾が付けられることがあるとは思わなかった。〉
北虎あきら〈迷子のままでも大丈夫、僕らはどこへでも行けると思う。〉
㉑釘宮エヌ〈大人になるまでにたくさんのカワイイを追い越して、いつか。寂しいも虚しいも追い越して、きっといつか。〉
秦知央〈他人を自分を理解するために、言葉にする。私にとって三十一文字と向き合うことは、生きていくためのちょっとした訓練でもある。〉
浅野大輝〈負けて、負けて、負けて、その先でつかむものがあると、今は半ば確信めいて感じている。〉

2022.11.25.~26.Twitterより編集再掲