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『歌壇』2022年1月号

振り向かば塩の柱と化すならむ雨に冷えゆく橋を渡りぬ 栗木京子 前の歌から、ロト6→ソドムを逃れたロト、と連想が動いている。ロト6を買った後、振り返ったらロトの妻のように塩の柱と化すだろう、と想像しながら橋を渡って家路を急ぐ。想像力が日常にある異界の扉を開く。

②島田修三「結社やら新聞歌壇やらを考えた」〈短歌ほど心のうちのありったけを吐き出す表現ジャンルはないだろうし、聞くに堪えない愚痴無知のたわごとも短歌という長い歳月の錬磨を通過した様式でくるんで出されると、なんとなく耳を傾けてしまったりする。〉様式の持つ浄化作用か。

③島田修三〈新年早々、はなはだ景気の悪い話になったが、私のような古き良き時代の結社を基盤として育った者には、この現実を無視するわけにはいかない。〉結社の高齢化、続いて新聞歌壇の高齢化が論じられる。近年あちこちで言われているが、その危惧を記録しておくのが大事と思う。

④「特集短歌の活路」奥田亡羊「短歌地図が違う」〈見ている短歌が年齢によってばっさり分断されているとすれば、やはりそれは好ましい状況ではない。〉これは本当にそう思う。その一例に奥田は手に入りやすい三冊のアンソロジーを挙げている。歯に衣着せぬ率直な物言いだ。アンソロジーと言えば、もし小高賢が生きていれば今どんな人選をしたか見たかったと思う。今、現代短歌の鑑賞批評のフィールドからある世代が抜け落ちているという奥田の指摘は当たっている。だからこそ、その世代がもっと頑張って取り上げていくべきところだと思う。(自分にも言ってます。)

 奥田は、もっと評価すべき歌人たちも、分断の一例としてのアンソロジーも、全て実名を挙げて述べている。その姿勢が潔いと思う。

⑤「特集短歌の活路」柳澤美晴「覚悟と胆力」〈短歌の世界もまた同じ危うさを抱えている。作者が読者と評論家を兼ねていることや、歌人同士の距離の近さを想うと事情はより複雑だ。影響力をもつ者が発するキャッチ―なワンフレーズに草の穂のように一方向に靡く。〉鋭い所を突いている。

⑥「ことば見聞録第六回」小説家・村田喜代子〈こういう語りの言葉はつまり韻文なんですよね。なぜ自分がこんな語りを書くかというと、韻文は抽象言語なんです。現代に通常使われている言葉では、抽象概念みたいなものが入れ込めない。〉これ、面白い。韻文は抽象言語、なるほど。

⑦「ことば見聞録」村田喜代子〈一番大事なのは情景が目に浮かぶという事だけ。私が小説を書くときはいつも字で見る映画だと思っています。それには描写が絶対条件です。〉描写と言えば写生、写実。短歌では、心情を描くことと対で考えられることが多いと思う。

⑧「ことば見聞録」村田喜代子〈私は小説を書いて人間の心理とかそういうことはどうでもいいんですと言ったんですよ。(…)心理ばっかり書いてる小説はちっとも面白くないんです。人間の孤独とかそんなのどうでもいい。〉言い切りが清々しいな。短歌もそうかも知れない。

⑨吉川宏志「かつて源氏物語が嫌いだった私に」「末摘花」〈ルッキズム以外の角度から「末摘花」を読むことはできないでしょうか。私は今回、「援助」という視点から読んでみようと思うのです。〉びっくりした。末摘花と言えばルッキズムの代名詞のような話だ。しかもルッキズムという言葉の受容はそんなに古いものではないように思う。(ウィキによると1970年代に出来た言葉らしいが。)それをもう横へ置いて、違う見方をしましょうというのだから視点の切り替えが速い。

〈病気などで容貌が醜くなったとき、人の態度はどう変わるのか、という問題にも触れている感じがします。〉なんか怖い問いかけ。ここは再びルッキズムに戻って問い直している感じ。小説だから自分で自分の心に聞いてみるしか無いんだろうな。

⑩「末摘花」吉川宏志〈他の人が欲しがっているものを手に入れることが、最も強く自分の欲望を満たすことになる。「人間の欲望は〈他者〉の欲望である」(ラカン)。ライバルに負けたくない一心で恋に駆り立てられる人間の心理を、紫式部はじつに鋭く観察しています。〉源氏にラカン…

 恋心は無いけど、援助する、という視点での読みは興味深かった。古典を読むのに「援助」は斬新な視点だと思う。まあ考えてみれば源氏には「援助」がいっぱい出てくるんだけど、この言葉を使うことによって現代的な物の見方に引きつけて見れるんだよな。

斧を振り下ろしたようにこの朝は冬で、だれもがうっすら憎い 帷子つらね 初句二句の比喩がキーンと引き締まるような冬の朝の空気感を出している。またその動作には、何かを傷つけ、断ち切る意志が込められているのだろう。「うっすら」があることで感情にリアリティが付加される。

向き合って えびの背わたを取るときに浮かぶいままでしたひどいこと 佐伯紺 誰かと対面で、そして心を向き合わせて料理する。エビを美味しく食べるため取らなければならない背ワタは、実際結構汚いものだ。そこに自分の過去の行状を重ねる。自己の内面を見る目がいいと思った。

⑬岩内敏行「平成に逝きし歌びとたち」かぎりなき嘆きのはてはかすかなる嘲笑に似し思ひとはなる 雨宮雅子 この歌に対する岩内敏行の読みは〈大きく悩み、嘆きつづけたが、何てことないことだと最後には嘲笑する心境になる。結句が「思ひとはなる」なので、決してその嘆きが解決したわけではないことも込めている〉である。行き届いた鑑賞と思う。他に岩内の選で「生き方があれば死に方もあるらむに死に方といふは選べざるなり 雨宮雅子」もいい歌だなあと思った。

 この『歌壇』の連載は本当に好き。亡くなったら取り上げられなくなる歌人が多い中で、その歌を残そうというとても大切な取り組みだ。担当者の人選もいいと思う。総合誌にこそやってほしい連載だ。各担当者の三十首選を集めたら良いアンソロジーになると思う。

2022.2.7.~8.Twitterより編集再掲