見出し画像

『短歌往来』2022年9月号

鬼のやうな母と言ふのか 本当はもつと息子と遊んでよかつた 大口玲子 息子と青島へ来た主体。青島を取りまく波状岩「鬼の洗濯板」を見つつ、鬼に思いを馳せる主体。息子ともっと遊んでやれば、今と違った状況だったかも知れない。自らを鬼になぞらえて、苦しみを詠う。

ひらがなより漢字の摩耗早きかな芭蕉の句碑は雨に暗みて 吉川宏志 雨の中で、芭蕉の句碑を見ながらの歌。上句の観察眼が光る。画数の少ないひらがなの方が、摩耗が早い。絶対に見ていないと(頭の中だけでは)作れない歌だ。そういう歌の良さをしっかり分かっていきたい。

③吉川宏志〈歌を消費するスピードがすごく早くなり、重要な歌集に関する議論が深まらぬまま、忘れられていく感があります。歌の価値観が非常に多様化し、それにはいい面もあるのですが、歴史を踏まえている歌の良さが、なかなか伝わりにくくなっているようです。〉本当にそうだ。

アルチュール・ランボー、マルセイユに死にき明治二十四年十一月十日 奥田亡羊 西暦で捉える時と元号で捉える時に世界が違って見えることがある。ランボーは明治時代に死んだのか。世界史だけ勉強していて突然日本史の教科書を開いたようだ。事実だけ詠って感慨を誘う歌。

⑤奥田亡羊〈短歌は小説のように作品の中に文脈を持つことができない。文脈はつねに作品の外側にあり、それが作者であったり、時代であったりする。風景もその一つだと思う。〉作者や時代や風景を「文脈」と捉える視点にハッとする。短歌作品の外側に文脈がある・・・なるほど。

⑥小林真代「作品月評 七月号より」  星たちは距離を保って想い合う 否、触れなければすぐ死ぬ愛は 川本千栄 〈緊張感のある一連。七夕の物語もこう言われると途端に嘘っぽく思えてくる。星がぐっと人間臭くなる。〉 一首引いて評をいただきました。ありがとうございます。

⑦貝澤駿一「評論月評」〈鈴木加成太・田中翠香と二人の時評に対して共通に言えることは、具体的な短歌作品の分析が少なかったことだ。〉この二人の時評はとても啓発的で面白いのだが、確かに貝澤の指摘の通りだ。これは最近の傾向とも言える。やはり時評は歌を挙げて欲しい。

2022.9.24.~27.Twitterより編集再掲