『短歌往来』2019年9月号

ないがしろにされ続けたまに持ち出され喜びいぢましき文芸ぞ 黒瀬珂瀾 元号の変わり目に万葉集がもてはやされた時のことを詠っている。歌人が短歌について詠う時しばしばこういう自虐が入る。矜持の裏返しかもしれないが。

②香川ヒサ「川野里子『歓待』書評」〈…「死にたまふ母」に詠まれた本来の(…)自然への信頼の失われた今日、こうした物(プラスチックスプーン、自販機など‐筆者註)自体がそれに代わる「自然」となるのかもしれない…〉。鋭い指摘と思う。月、小惑星に対する解釈も良かった。

2019.10.13.Twitterより編集再掲