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『ねむらない樹』vol.9 2022.8.

干されてるぬいぐるみのごとさみしさをふたりで窓から眺めれば夏 上坂あゆ美 二人で窓から外を眺めている。二人でいても寂しい。ぬいぐるみが干されているかのように、寂しさが形になって、見えている。外は夏。濡れたぬいぐるみが乾くように、やがて寂しさも乾いていく。

②三枝昻之〈モダニズムの既成の価値の否定という特徴からは、プロレタリア短歌も広い意味でのモダニズム短歌といえる。だから昭和三年に統一戦線を組み「新興短歌」と銘打って新興短歌連盟が結成された。しかし運動方針を巡って十一月に分裂、十二月に解散した。〉
〈なぜ新興短歌は直後に分裂したか。既成の価値と伝統短歌の否定という点では共通するが、表現の芸術性を重視するのがモダニズム短歌、階級意識からの社会改革を意図するのがプロレタリア短歌。粗く言うと、文学か政治か、その力点の置き方で分かれた。〉
〈しかしモダニズム短歌も文語か口語か、定型か自由律か、それをどう組み合わせるか、多様な志向に分かれ、主流は口語自由律という選択だった。〉  実際の歌も挙げられており、(テーマである)佐美雄の歌だけではない、幅広い知識が得られる論だった。

③佐藤弓生〈定型律の佐美雄たちも一生モダニズム短歌をつくっていたわけではない。(…)そのひとときが過ぎても、道は残っている。(…)敗戦後にモダニズム短歌を批判的に継いだ前衛短歌、それを口語で継いだニューウェーブ短歌、〉この最後の部分には賛成できなくて、自分の評論にも色々書いたけど、もっと考えてみたいと思う。口語という観点は私自身の課題でもある。前衛短歌が、モダニズム短歌を「批判的に継いだ」というあたりの知識をもっと得たい。

④松澤俊二「モダン都市の歌人たちーデパートをめぐる短歌と想像力」〈三越、高島屋といったデパートは一九三〇年代の都市において「モダニズム」の有力な発信源であり、そこから生まれる「モダニティ」を個々の体に感覚させるメディアだった。〉今回の特集で一番面白かった論。視点をデパートに絞っているのが良いと思った。引かれている歌も有名歌人から名前を初めて知った歌人まで幅広い。今のデパートに関する感覚と、当時は全く違うものだっただろう。デパートがモダニズム発信の場ということが、体感として何とか分かる世代に私は属しているのかも知れないなあ。

⑤寺井龍哉「生まれてはみたけれど…」〈西脇の詩を読み、目に映る事物が、ことごとく新たな意味を持ちはじめたということだろう。言語芸術が個人に与える感動の、おそらくもっとも衝撃的な経験が語られている。〉「誕生日」をキーワードにモダニズムを論じる。引用部分は西脇順三郎の詩が塚本邦雄に与えた影響について。塚本自身の言葉も引いていて、なるほどと思う。

⑥川本千栄「異人さんに連れられて」
飾られるシヨウ・ウインドウの花花はどうせ消えちやうパステルで描く 斎藤史
 この歌について「ちやう」という語の成り立ちから論じました。斎藤史論でもあり、口語論でもあります。ぜひお読みください!

⑦寺井龍哉「短歌時評」〈短歌が流行しようとしまいと、歌人のするべきことは変わらない、すぐれた歌を詠み、的確な批評を書くだけだ、と言ってはならない。〉お、、言いそうだ。
〈日常的に短歌を詠み、読む人口が増大し、あるいは、日常的に短歌に触れてこなかった読者にまで作品が届きうる状況は、短歌の言葉そのものを変質させるからだ。どのように読まれる言葉であるかということは、それがどのような言葉であるかということを、強力に規定する。〉
 そうかと言って、それを汲んで先取りするのも難しい。自分の読む幅を広げることによって対応するということしか今のところ思いつかない。「読み」の幅を広げるのは意志的にできるが、「詠み」の幅を広げるのは相当困難だとも思う。

2022.10.23.~26.Twitterより編集再掲