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『砦』2021.11.

マッチのような祈りが猜疑心と擦れやがてみずから燃え尽きるまで 帷子つらね ささやかな祈りだったはずが、猜疑心のため、疑いの心にとらわれ、燃え尽きてしまった。映像的なイメージの美しさを、猜疑心という言葉の強さが引き締める。

傷ついたぶん傷つけていい どうか ふるえて砕氷船になる腕 帷子つらね 初句二句+二音の言い切りの強さは、でも傷つけられないことの裏返しか。その強さは、祈りのような三音、下句の震える気持ちと対称的。下句は、氷を割って自らの腕を傷つけながら、相手に近づいて行く腕を思った。

いたわりを一つ自分に贈るたびほどけるようにらくになりたい 小松岬 自分を労わることを、いたわりを「贈る」と捉える。そのたびに、ほどけるように、身体も心も楽になっていきたい。今、身体にも心にも力が入って、堅くなってしまっているのだ。

呪いならその名を知ればじゅうぶんに戦えるってほんとだろうか 小松岬 相手に本名を知られてしまったら力が無くなる、というのはお伽話とかによくある話だ。名前には何らかの呪力があるということだろう。相手の名前を知っている主体は、これで相手を呪えるのかと疑問に思っているのだ。

両脚にこころを溜めて人間は少し身じろぎできるだけの樹 田村穂隆 人間は樹に比べてずいぶん自由に動き回れるように思っているが、人間の自由の範囲というのは自然を見渡す大きな目で見れば狭いものなのだ。移動する時に使う脚に気持ちが溜まっているようで、少しずつ動くしかないのだ。

心には声帯が無い 向日葵が歯軋りをするように枯れゆく 田村穂隆 心には声帯が無いから自分の心の中のことは声として外へ出て行かない。向日葵も言いたいことがあるのに言えずに枯れてゆく。向日葵が枯れてゆく比喩として「歯軋りをするように」がとても胸に迫る。

雨ふればこの世にふえゆく鏡あり鏡のなかにも市街がともる 中田明子 雨が降ればガラスが鏡のように見え、その中に街の灯りがぼんやり映って光っている、ということだと思うが、「この世にふえゆく」でこの世では無いところからのような視点を感じる。不思議な物語を見ているような印象だ。

蝶々を追いながらゆく追いながらその顔をわたし知らないままで 中田明子 何かを追いかけているけれど、その相手の顔は知らないままだ。自分は何を追いかけているのだろう。文法的には何も不思議は無いが、この歌のこの位置に「わたし」が入ることで、その追いかける儚さが急に強くなる。
 「その顔を」と先に目的語を言った後で、改めて自分で自分に言い聞かすように「わたし知らない」ままで、と続くから、再確認しながら、軽く驚く感じになるのだろう。しかしやはり韻律の力が大きく、散文でこの語順で言っても、同じ効果は出ないと思う。

木の影はだいたいが葉の影である 連絡が来るのを待つてをり 永山凌平 上句は気づき。幹の影より葉の影の方が、木の影という印象が強いのだろう。風に葉が揺れて、光がちらちらするからかも知れない。下句はその木の下で誰かからの連絡を待っていると取った。上と下を繋がないままの歌だ。

ねなねって言われて眠る   *   無言はたまに肯定になる 拝田啓佑 「ねなね」は「寝な(さいよ)ね」。言われた通りに眠る。無言で指示に従ったことが相手の意見を肯定したことになるのはこういう場合だろう、と四句五句で確認している。*が三句代わりで、その上下が対称に見える。

沈丁花 あなたにまつはる話では過度に花弁をひらかぬやうに 橋本牧人 沈丁花は花弁がくるんとカールするように開いている。そして深い香りを発している。そんな沈丁花のように話し過ぎない、見せ過ぎないようにしよう、と自分に戒めているのだろう。「あなた」に纏わる話の時は、と。

夕立が  泣く、って涙が出てるってことじゃないじゃん  屋根を打ってる 平出奔 初句と結句が繋がっている。その間に二句~四句が挟まれている。夕立が屋根を打って激しく降ることと、涙を出さず泣いていることが、微妙に重なる。涙が出ないからより激しく泣くということもあるのだ。

2022.7.31.~8.2.Twitterより編集再掲