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『塔』2022年4月号(2)

愛されず苦しむことも愛されて苦しむことも バスは終点 はなきりんかげろう 四句目までの対比が韻律的にいいと思う。どちらも選べないほど苦しい、と考えているうちにバスが終点に着いたのだろう。一字空けと結句の冷たい現実感が効いている。

逃げるみたいだ 教卓の上に散らかしたものを集めて教室出れば 川上まなみ 初句の破調が強い。次の授業に行くために、今の授業で使った物をかき集めて教室を出なければならない。まるで逃げるみたいと生徒に思われているのだろう、と感じるのは、主体が逃げたいと思っているからだ。

幸せを計る単位は見当たらぬ計ればたぶん消えてゆくから 関口健一郎 幸せは計ろうとすると消えてしまう微妙なものなのだ、計ろうなどとせず、ただぼんやりと感じているしかないのだろう。作中主体は今の自分の状況を幸せと定義付けようとしているのだろうか。

洗濯機にナイアガラすすぎの機能あり夜の脱衣所に滝想うなり 北辻一展 そういうネーミングなのだろうが大げさ過ぎる。家庭用洗濯機にナイアガラって…。思わず笑いそうだが、主体は壮大なナイアガラを想像する。「想」の字が滝への気持ちと合っている。

何度でも若返るらしベニクラゲしんどくないか繰り返すのは ほうり真子 不老不死と言われるベニクラゲ。人類には不老不死を求めてきた歴史がある。死への恐怖があるからだ。しかしただふわふわと漂うベニクラゲを見ていると、生の繰り返しは却って苦しいのではと思えて来るのだ。

三界を空けたり閉じたりするカラス黒い法衣をつやめかせつつ 澤端節子 三界は欲界・色界・無色界だろうか。この迷いの世界を空けたり閉じたりする、とはどんな仕草なのか。鳴き声によって時空を裂くようなイメージと取った。「法衣」で僧を思わせるが、何やらなまめかしい黒だ。

木はやがて雪を積もらすほど冷えてそれからがほんとうのあなたと私 中田明子 雪が積もったから冷えたのではなく、木が冷えたから雪が積もった、逆転の発想、というほどではなく、さり気なく詠われる。上下の付き具合が絶妙で、それ、が冷えたことと関係があるような無いような。

降りしきる大晦日の雪わが内に眠る言葉を揺さぶりつづく 畑久美子 誰でも心の内に眠っている言葉があるだろう。弱音、悲しみ、叶わなかった希望、祈り、あるいは呪い。それらを揺さぶるように雪が降りしきる。大晦日という時の設定も、何かの終わりを思わせて迫力がある。

フラミンゴの群れが飛び立つああこれはわたしのなかに湧きくる悪意 かがみゆみ あざやかな紅いフラミンゴが飛び立つ、その美しくも凶々しい光景を、自分の心の中に悪意が湧きくる状況に喩えた。とても鮮明なイメージ。自分の内面をまっすぐ見つめる視線に心を動かされる。

「日本の歌うたえるよ」韓国の老は「君が代」を 私は泣いた/まくろきを光らせ音もなくたたむ能の衣装のやうな鴉ら 坂楓 おそらく「老」と同世代だろう作者。自分の国がその人にしたことが辛くて泣く。/鴉の羽根がこの歌では能衣装と捉えられた。舞台上に登場した役者のようだ。

簡単にきみが触った爪や髪すぐに切り落とされるものから 鈴木晴香 「君」が触れてくるのは主体の髪や爪。嫌ならすぐに切り落とせるものだ。触れてくる方も簡単なら、触れられた方もすぐに切り落とす。刹那的な関係性を、身体語を入れて、はかないが艶のある印象にまとめた。

持ってみる?と誘われ持たず持たざりしことを悔い悔いしこと恥ずかしく 沼尻つた子 職場に聖火トーチが三日間飾られていたようだ。とても動詞が多いが、六七五八七でそれほど字余りではない。一瞬でも俗物っぽく悔いた自分を恥じる気持ち。早口な詠い方がそれを表現している。

㉛魚谷真梨子「子育ての窓」
〈「コワイ」という言葉を覚えるのと並行して「怖い」という感情も芽生え始めた。〉
 これは鋭い観察。ごく短い間のことなので、見過ごしてしまう親も多いだろう。感情も教えられたものなのだ、ということに頷く。
〈私が子供の頃は、親からよく「悪い子のところにはマーが来るよ」と言われた。「マー」とはなんぞや、と言う感じだが、〉
 私も言われたわー。「魔」ですよ「魔」。父はよく鏡を上に向けて置いたら「魔」が映る、と言って伏せさせたわ。だから、今でも上向き鏡がちょっと怖い。

ゆふぐれの我鬼をおもへり百年後の元日の手にエタノール塗り 篠野京 これは山下洋の選歌後記を読まないと全然分からなかった。曰く〈我鬼(芥川龍之介の俳号)の「元日や手を洗ひたる夕ごころ」を踏まえる。百年後の世界では、元日の手に、アルコール消毒をするのだった。〉
    この解説を読めば、巧みに踏まえて読んでることが分かる。雰囲気が元の句と統一されている。それを保ちつつ、ぴかっと自分の側の歌にしてしまうのは、「百年後」の一語だ。主体が百年前の芥川を思うのではなく、百年前の芥川が百年後の主体を見ているような錯覚を与えてくれる。

なんといふ果てしなさへと歩みつつそれでもかかぐ一本の蠋 澄田広枝 初句が読む者に迫る。なんといふ果てしなさ、で切れるように見えて、その果てしなさへと歩んでいく、蠋を掲げて。後から考えると初句が文法的に繋がらないのだか、散文には解体できない、詩歌の文体の魅力だ。

三度花瓶にしたことのあるマグカップになみなみ注ぐ外国のみず 的野町子 水道水を入れていたマグに今度は自分が飲むための水を注ぐ。主体も花も水で生きているのだ。エビアンやヴォルヴィックなど商標名を入れてもいいのだがここは、外国の、と大まかに言うことで広がりが出た。

㉟𠮷田淳美『CLOUD』評 
保存されし旧製図室の片隅に今は使われぬ座高計すわる 吉田淳美 
黒瀬圭子〈ある世代までは学校の体格検査で座高を測った。足の長短に一喜一憂していた。最近座高計測が廃止になり、座高は兵隊が鉄砲を撃つとき重心の低さが大切で計測されていたと知った。〉
    私の職場でも確かに最近ある年急に、健診で座高を計らなくなった。なぜと聞くと「もうしなくなった」とだけ。現場の人間も事情を知らない、しかもその事情が事情という…。黒瀬の読みで歴史的視点が加味された。「旧製図室」という具体、「すわる」という、座高計ならではの擬人化がいいと思った。

㊱六甲に穴開けちゃって人間は糸のごとくに電車を通す 東大路エリカ 「ちゃって」から、どうしようも無さ、取り返しのつかなさが漂う。電車を細い糸のように通すために開けた穴。穴が開けられたり、削られたりした山を見るたびに身体が痛むような感覚は誰しも感じるものだろう。

この先も使う私の肉体を私が酷使している 今は 谷活恵 ゆとりを持って生きられたらいいがら、毎日、身体を酷使しながら過ごすしかない。今はとりあえず自分の意志でと思ってやっているが、将来的に身体に不具合が出たらどうしよう。そう思わないでも無いが、やるしかない、今は。

心臓に根を絡ませて生きていくために生きてるような自販機 姉川司 二句切れか、一首切れずに続いているのか。自分の心臓に何かの根が絡み付くようなイメージ。自販機から根のように伸びる電源コード。明るく輝いて存在することが存在目的のような自販機=自己。イメージの多層化。

なにとなく片付けがたき心地して床の花びらスマホに仕舞う 津田雅子 床に散った花びらはゴミ。片付けなければならない。しかし何となくもったいなく感じてスマホで撮影する。それほどきれいな花びらだったということだろう。(前の歌から牡丹。)スマホに仕舞う、が優雅。

素裸の月に見られてタマゴ産む君のをらねば無精のタマゴ 小林純子 とても性的なイメージの強い歌。君と別れて無精卵を産む主体。素裸の月は何かの象徴か。寝室から見える月が自分同様素裸に思えたのか。とても印象の強い一連だった。

君が好きだったCDスマホライブラリもう消しました。レジ袋有料 川又郁人 消してしまったことと、結句が唐突に結びつけられる。まだ未練に思う気持ちと、これでいいと思う気持ちに揺れながら買い物をしてレジへ行き、店員に有料を告げられ、はっと現実に戻される、そんな感じか。

みずうみのそばで涙を流しても水になれない身体をつたう 紫野春 主体の中に、身体が水になればいい、湖と一体になりたいという願望があるのだろうか。泣いて、涙とともに、自身が水になって湖に流れ込みたい、でも身体は水になれず、涙は身体の外側を伝うのみなのだ。

性善説を信じていると信じてるゆでたむね肉ゆびで裂くとき 鹿沢みる 初句の前に(私はあなたが)と補って読んだ。けれど主体は性善説を信じていないのではないか。下句は調理であり、日常だが、微かな加害意識が感じられる。ゆでた・むね・ゆび、のひらがな遣いがどこか生々しい。

でも見せることは暴力 尖らせた鉛筆で〈裸子植物〉と書く 田村穂隆 植物の展示を作っているのか。尖った鉛筆で展示用のカードを書く。視線を向けられることは、見られる側には暴力なのだ。主体は今回は見せる側。〈裸子植物〉が言葉としても、句割れとしても効いている。

ままごとの子が〈おいでえ〉と呼んでいる お皿にドキンちゃんがのってる 鳥本純平 父親と遊ぶのがうれしくて仕方ない子。子供同士の呼びかけのように呼んでくる。お皿にはドキンちゃん。ムシャムシャ食べ真似をするのだ。一応、バイ菌の一種なんですけど。子供の笑顔が浮かぶ歌。

㊻秦知央「文学フリマ京都」レポート 〈塔のブースには選者や会員による歌集、『塔』のバックナンバー、手作りのグッズなどを並べました。中にはサイン入りの歌集や絶版となった書籍など、他では購入できない貴重なものも含まれます。〉今となっては懐かしい京都文フリ。
    先日の東京文フリは盛況だったようだが、1月のこの京都文フリの時はまだ人出が少なかった。それでもサイン入り歌集やバックナンバー配布は人気だったな。来年はどうなるだろう。少しでも状況が改善されてたらいいな。詳細なレポートありがとうございます!

じっと待つ 僕の胸にもいるはずのイカロスが羽根広げる時を 丘光生 迷宮に閉じ込められたイカロスが自由を求めて飛翔する。イカロスが時を待ったように、主体も時が来るのをじっと待っている。「胸にいるはずの」という感じ方が魅力。読者もその存在を自分の胸に感じるだろう。

忘れてもいいから聞いて雨の日の松ぼっくりが閉じていること 長井めも 三句目以降は具体で、種を濡らさないためだろうし、閉塞感が伝わるが、どこか初句二句の切実さと釣り合わない。二句までで心の叫びを出して、それ以下はもしかしたら何かを聞いて欲しかっただけかも知れない

つかみたしスピカの青さ手のひらに春の訪れ感じたいから 関竜司 乙女座の一等星スピカ。春になったら見える星だ。主体は手のひらに受けるスピカの光の青さで春を感じたいと言う。「青さ」をつかみたいという表現が詩的。透明な印象の一首。

2022.5.28.~6.1.Twitterより編集再掲