見出し画像

『うた新聞』2022年12月号

①鈴木加成太「巻頭評論」〈これらの実感を基に作られた歌を前にすると、若い歌人を中心としたウクライナ侵攻への直接的な言及の敬遠は、実感なしに得た情報から具体的な歌を詠むことへの躊躇から来ているのではないかと思われる。〉難しいところだな。これを受けての結語がいい。時事詠を自分の中でどう位置付けるか。避けて通れない問題だと思った。

②大辻隆弘「〈てにをは〉を読む」〈(動詞の)基本形の意味を画定するために、副詞や副詞節が大きく機能している。/現在流布している口語短歌において、副詞は決定的に重要な働きを担っている。〉大きく賛同する。文語から失われた機能を論じるのではなく、口語によって新たに重要になった機能に目を向ける論だ。例えば、助動詞が減ったらそれ以外の語句がその機能を補う働きをする。それを論じるのがこれからの文語口語論だと思う。

こころもないこころのびょうきもない町でやられたらやり返すそれだけ 竹中優子 心が無いから心の病気も無い、そんな寒々とした町。そこでは何かやられたらやり返す、そのやり取りしかない。身も蓋も無い詠い方で心のザラつきを表す。

④平山公一「ニューウェーブから三十年」〈今年最も心に残ったものの一つとして川本千栄『キマイラ文語』の中の「Ⅲニューウェーブ世代の検証」を挙げたい。〉〈二十年前の評論というが今読んでも新しい。〉ありがとうございます!これからも励みます。

⑤川本千栄「藤島眞喜子歌集『じゃじゃ馬馴らし』評」海桐花(とべら)咲く荒崎海岸刻まれし乙女らの名を指にてなぞる 藤島眞喜子〈彫られた名前を目で見るのではなく、指でなぞるところに実感がある。〉三十年間が三九一首に凝縮されている。心の機微を植物に託して詠う。

2022.12.23.~24.Twitterより編集再掲