角川『短歌』2019年12月号

ぽつてりと玉子を落としソース塗り香ばしくせりここが爆心地 川野里子 すごい問題作。広島風お好み焼きと原爆を重ねて詠んでいる。「香ばしく」が挑発的。しかし、どんな時も忘れることができない、いつもそのことを考えてしまう、ということの苦しさが胸に来る。

②川野里子の「ぽつてりと~」の歌、衝撃的だったが、嫌な感じはしなかった。この歌が広島を詠った連作中の一首で、他の歌に支えられているからだろうか。川野里子という作者への信頼もある。無記名で一首だけでこの歌を読んだ時、私は今と同じ感覚を持てるだろうか。

③特集「知の歌、情の歌」中の大井学の論。全体的に面白かったが、現在の歌に対して書かれた〈…一首の中に複数の「われ」が想定されることもおかしくはない…〉というところをもう少し詳しく知りたい。例えば挙げた歌ではどうなのか、が読みたかった。

あんたかて殺されたことあるやろと鵺は言ふ鵺は人肌をして 林和清 何やら暗示的な鵺と「殺されたことある」という発言。しかしまず「あんたかて」という初句に惹かれる。短歌に方言を入れるのには必ずしも賛成ではないけれど、この鵺には悪夢っぽくて合っている。

ころがらずたてにもたたずポケットにはいりもしないバナナのかたち 田中道孝 建築現場の連作中にある歌。建物を作る時に扱うのは、ほとんど直線、あるいは計算された曲線。その中でバナナが自然の造形を思わせる。かなり控え目に。漢字を使わないのも同じ意図。

電気羊の夢を見るからわたしたちねむりのたびに手足失う 鍋島恵子 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を踏まえている。この「わたしたち」はアンドロイドのように人間になり切れておらず、眠るたびに自己不全感を感じるのだ、と読んだ。

肋骨という籠を冷えた胸に置きさがしていたりわたしだけの鳥 鍋島恵子 肋骨は鳥籠の形。意表を突くが、納得できる比喩。鳥は心のようなものか。「わたしだけの」という言葉に希求が感じられる。

2019.12.18.~23.Twitterより編集再掲