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『歌壇』2022年6月号

暗闇は、それでも黙る暗闇は見たことのない自分のようで 江戸雪 初句、話し始めて口ごもる。自分の中にあって今まで気づかなかった闇。その闇に初めて向き合う。しかし未だそれが自分の内部なのだとの確信は無い。

酢漿(かたばみ)を引き抜いてゆくときどきに引きよせられるこの手首ごと 江戸雪 とても根が深いから、かたばみを抜くのは難しい。引いていると自分の手首が引きよせられ、今度はそれごと力をこめて引かなければならなぃ。その時地に引き込まれるような感覚。実感のある怖ろしさ。
 今回の江戸の連作はとても読み応えがあった。具体と心情が過不足なく描かれ、どの歌の語句もこれ以上動かない。また連作の歌同士も緊密に絡み合って、連作を読む喜びを味わえた。

③特集「異なる世代に読んでほしい同世代の歌集」編集後記に「時代背景を共有する同世代の読みを、異なる世代に伝えることで得られる理解もあるのではないでしょうか」とあり、大いに賛同する。まさに今、求められている特集ではないだろうか。賛同する上でさらに思ったことを二つ。
 一つは、異なる世代に魅力を伝えたいなら、ひと世代少なくとも2~3冊は紹介してほしい。回路を開きたいなら、タイプの違う歌集を。二つ目は最後の「昭和60年生まれ以降」という括りが大き過ぎる。それまでが10年刻みなのに、なぜだろうと思った。

④吉川宏志「源氏物語」〈(花散里の巻は)最も短い巻で、原文だけだと、文庫本の五ページ分しかありません。〉花散里は本当に印象の薄い人。なぜこの人が源氏の最後のベスト4に残るのか以前から謎だった。女君は多かれ少なかれ皆エキセントリックだが、そうでないところが魅力なのか。
〈源氏は彼女を非常に信頼し、後には自分の息子の養育を任せたりします。〉いわゆる良妻賢母タイプか。しかしそんな概念、平安時代には無いしね。魅惑的な女君たちより、こういう人の方が数的には多かったのかもしれない。

⑤中西亮太「斎藤史」〈ここに出てくる「立体」や「速力」こそ近代主義の用語であり、当時のジャーナリズムの好みそうな言葉でもあった。〉こうした、今では全くの日常語にこそ気をつけなければならない。見過ごしがちなのだ。

⑥中西亮太〈父の認識の限界はそのまま史の限界ともなったと私には思われるが、どうだろうかか。〉二・二六事件に対する史の認識の限界についても、中西は以前、別の論で示唆していたが、やはり鋭いと思う。史の歌がうまいので、その認識に限界があることは見逃されがちなのだ。

「本島から来ました」と言いかけてまた「沖縄島から来ました」と言う 屋良健一郎 自分のいるところを「本土」と呼ぶのも「本島」とよぶのも構造的には同じ心理だ。誰もがこの構造の同心円のどこかに位置するのではないか。常に意識を向けている者のみが自分の発言を訂正できる。

⑧谷岡亜紀「鑑賞佐佐木幸綱」かぜのとのとおきみらいをかがやきてうちわたるなりかねのひびきは 佐佐木幸綱 720年ぶりに新調された長谷寺のかねに刻まれた歌。〈「かぜ」「かがやき」「かね」と頭韻が踏まれる。さらに「かぜ」「かね」の相似形がリフレインの効果を上げている。
 また「かぜのとの」の「と」が「とおき」と響き合う。(…)「かぜのとの」は枕詞で「遠き」を導く。まさに風が遠くまで音を、そして思いを運ぶ感覚である。〉谷岡の読みを呼んでうなった。練りに練られた一首なんだ。720年の風雪に耐えうる歌だと思った。

⑨武下奈々子「もの食う歌人たち」〈(安土・桃山時代、)和歌文学の隣りに、詠み捨てにされることに甘んじながらも、「狂歌」という名を得たこの文芸は、和歌よりもほんの少し自由な発想と語法を駆使しながら、確実にその地歩を築き始めていた。初期狂歌の世界である。〉
 和歌では飲食は詠めなかったから狂歌で詠むしかなかった。〈江戸は全国津々浦々の食品が集まる大消費地になっていた。そんな中、明和年間から狂歌の大ブームが興る。〉〈近世和歌の世界も、沸騰するような町人文化の趨勢を受けて、それまでにはなかった「食の天」を描き出してゆくこととなる。〉   
 短歌を考える上で書かせない狂歌という観点を提示した論。出典も記載されており、貴重な知識を得られた。

2022.6.13.~14.Twitterより編集再掲