平成の事件と短歌

昭和天皇雨師(うし)としはふりひえびえとわがうちの天皇制ほろびたり 『夢之記』山中智恵子
  瞑想するぞ。瞑想するぞ。瞑想するぞ。
情報の症候群にかこまれてしょしょしょしょしょしょしょ朝のはらから『昏睡のパラダイス』加藤治郎
青き光浴びたるのちの二ヶ月を昭和天皇のごと生かされつ『海雨』吉川宏志
武器回収されたるのちは農機具もて殺し合ふなり隣人なれば コソボ紛争『夏のうしろ』栗木京子
紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき『デプス』大辻隆弘
「トマホーク」それはスー族の手斧の意 かかる言語感覚に露呈するもの 『時のめぐりに』小池光
  二〇〇五年五月、フィリピン・ミンダナオ島に旧日本兵が生存しているかもしれないという情報が浮上した
日本兵生存情報に立ちあがるわが家に一人ゐる戦死者が『夏羽』梅内美華子
流されて家なき人も弔ひに来りて旧の住所を書けり『北窓集』柏崎驍二
なぜ避難したかと問はれ「子が大事」と答へてまた誰かを傷つけて『トリサンナイタ』大口玲子
みんなもう忘れかけてるとりどりにスカイツリー色をかえてきれいだ『光のひび』駒田晶子

   声を揃えないこと


 平成末、当時の天皇は平成を「戦争のない時代」と述べた。日本国内に限って言えば確かに戦争は無かったが、世界規模では湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争など大規模な戦争がいくつも起こっている。また、オウム真理教事件や9・11などのテロは国内外で数え切れないほど起こった。自然災害とそれに伴う原発事故のような人的災害もあり、平和とは言い難い時代であった。
 短歌に関しては、大きな事件の度に「これを詠うべきだ」という圧力が歌壇内外から生じた。失語状態に陥った、当事者では無いなど、詠わないのなら詠わない理由が必要に思われた。大状況こそ詠うべきであり、詠い方にも望ましい方向があるという同調圧力。この圧力の行き着く先が何かは、太平洋戦争開戦時に昭和の歌人たちが一斉に同じ姿勢で歌を作った史実を見れば明らかだ。
 事件の歌を詠むに際し、歌人は大状況だからと、声を揃えて詠うべきではない、と思う。自分の心に触れたものを自分で選んで詠えばいい。詠う方向も何が間違いということは無く、ただ歌の完成度のみを目指せばいい。掲出七首目は平成十七年の日本兵生存のデマ情報に関する歌。十首目は平成二十四年のスカイツリー開業時の歌で、背景には前年に起こった東日本大震災と福島第一原発事故がある。この二首の「事件」の選びに、特に私は惹かれる。

2019.10.『歌壇』