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河野裕子『桜森』15

つかみ得る限りの土中の闇つかみ身はあかあかと華やぎゐたり 一連の前の歌から紅葉する黄櫨(はぜ)のことだろう。黄櫨の根は土の中で掴める限りの闇を掴みながら、土の上にある部分は明るく華やかに紅葉している。人を表す喩のようでもある。人も掴める限りの闇を掴んでいるのだ。

冬日差あかるき庭に遊ぶ子よひかりの翼ふさふさとして 庭で遊ぶ子の背に日の光が射して、翼があるように見える。ふさふさとしてた翼は西洋的な天使のイメージだが、その語を言わないことで却って情景が豊かに広がる。どの季節よりも、冬の明るいけれど弱く透明な日差がよく合う。

子を連れてゐるといふこと人中に子は柔らかき楯ともなりて 親は子を守るものという一般論とは違う発想の歌。人中に出る時、大人であっても、大人だからこそ緊張する。どう人と交わっていいか分からない時もある。そんな時、子の存在が、人との間の楯となって守ってくれるのだ。

身一つにありし日日には知らざりき日向にても子を見喪ふことを 子供を産む前には知らなかった。暗い夜や日陰ならとにかく、明るい日向であっても子を見失うことを。はっと気づいた時に子供が傍にいない。あるいはいるのに存在が見えない。そんな危機感が「喪」の字に現れている。

繊くなりし月のひかりに面あげてひとは告げにき唇ぬれをりき 繊月の光の中で人は顔を上げて告げた。何を告げたのだろうか。唇が濡れていたという結句から、性的な暗示を感じる。ひとの、主体の身体を求める気持ち。上句の頼りなさと下句の生々しさのギャップが鮮やか。

つきつめて思へば誰か分らざるあなたに夜毎の戸を開けて待つ 「あなた」は配偶者だろう。毎晩、夫の帰宅を戸を開けて待つ。しかし、突き詰めて考えてみれば、あなたとは誰か分からない。夫に対してさえ抱く、この他者感。それでも待つことが人と人との関係性なのだ。

2022.6.22.Twitterより編集再掲