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『塔』2022年8月号

漁師また娼婦木樵と迷いたる末に選びぬ炭焼き男を 三井修 スパゲッティのソースを選んでいる場面。最初は何のことかなあと思いながら読み、最後に有名なカルボナーラで分かる。遊び心が楽しい歌だ。(最初は多分ペスカトーレ?後は食べたこと無いなあ。)

紫陽花の色が深ければ深いほど不幸な年と占いは説く 前田康子 紫陽花の色はその土壌に因ると思っていた。しかし、その年の持つ幸不幸に関わりがある、と占いが言うのだ。何やら不気味だ。こう言う限りは今年の紫陽花の色は深いのだろう。

透析をやめる選択もありますと電話の声はさわやかに言う/週末に墓地の下見に行く予定母を病床に寝かせたるまま 芦田美香 とても辛い一連。本人の知らないところで、その死を選択することができるという、現代医療の無慙さを思う。川野里子の『歓待』と共通するテーマだ。

ストレスから身を守るため感情は鈍くなるとう記事を読みおり 森尻理恵 感情が鋭敏なままでいたら、ストレスによって心も身体も傷んでしまうから。身を守るため、敢えて感情は鈍感になる。ショックが大き過ぎる時に笑えてくるとかは、それなんだろうか。

⑤魚谷真梨子「子育ての窓」〈子どもと話していると、子どものことばの森の中をのぞかせてもらっているような気持になる。ことばの森はすなわち思考の森だ。ことばと、経験と、感情がまざりあいながら、森はぐんぐん大きく、深くなっていく。〉子育てだけでなく全人生に関わる。哲学的。

感情にふりがなをふるさびしさも黙っていては伝わらなくて 白水ま衣 今、こんな気持ちでいます、ということをいちいち言わないと伝わらない。まるでふりがなをふるように説明しないといけない。本当は黙っていても伝わってほしい。感情を分かち合いたいのだけれど。

木蓮は見上げると降る 知らないんだって知らなくていいんだって 中村雪生 見上げると降る、は気づいた時に降る、言い換えれば降っていても気づかないなら、降っていないと同じ。そこに気づいた。それを慌てたように下句が止めている。知らなくていいんだ、と。何を、だろう?

病室の妻の添ひ寝に見し夢は緑の廃墟のごとき建物/モルヒネの眠たげな目を少し開け汝は言ふなりおとうさんは嘘つき 三浦肇 重病の妻に寄り添う主体。静かな病室の空気が伝わる歌だ。二首目の結句を言うためにこの一連があるように思った。どんな言葉を嘘と取ったのか考えると辛い。

でもみんな生まれるときは全裸でしょう四月は夜の雨のするどさ 大橋春人 生まれる時は全裸。人間の本来の姿なのだ。初句の「でも」にそこまでの会話あるいは思考の流れを想像させる力がある。鋭く降る四月の夜の雨。究極の過去に思いを寄せながらその後の生を振り返っている。

樹の下は深深と赤き沼になる咲いても落ちても椿のままで 今井早苗 椿の散った姿を沼に喩えている。赤き沼、という表現に凄味がある。下句の把握が象徴的だ。落ちた椿は劣化しているはずだが、やはり椿のまま。散っても本質は変わらないのだ。

⑪梶原さい子「選歌後記」はるばると西瓜を下げて来し人に悪人をらず昭和とほしも 森永絹子〈他の人のために、手間をかけて、時間を使う。それを当たり前だと思っていた時代。〉昔の人がいい人ばかりだとは思わないが、丸い西瓜と遠くからそれを運んで来る人の風情は昭和っぽくて良い。

語彙力の圧倒的に不足して姉妹の喧嘩バーカばかバカ 井上雅史 思わず笑ってしまった一首。幼いきょうだい喧嘩だろうか。言いたいことが上手く言えずに、バーカばかバカと連呼する。喧嘩している本人同士は必死だが、大人はそれを笑っている。誰しも覚えのある記憶ではないだろうか。

牡丹の苗籠に背負いて行商が訪ねて来たり花の咲く頃/義母も吾も若くて長女抱きつつ牡丹の苗を選りたる春か 浅野次子 岩崎京子の児童文学「ボタン」を思い出した。戦前のある時期、牡丹の栽培が流行った。牡丹の苗を選んで育てて咲かせる。その暮らしがこんなに豊かに描かれている。

苦しみは枯れた葉の色良い人とどこにでもいる人のはざまで 丘光生 はざまに置かれているのは主体自身と取った。自分をどのように位置付けるか、人からどのように位置付けられるか。初句の苦しみはその位置付けとはまた別のものだと思う。それをきっかけに自分を見つめているのだろう。

川面には家がびらびら揺れていてそのびらびらの家に棲む人 田村穂隆 川面に家が映っている。その像は川の流れに沿って揺れているようだ。「びらびら」という不安定なオノマトペが、見ている者の不安定な心を表す。その家に棲む人は主体ではないと思う。全て「見ている」歌と取った。

側溝のなかにちいさき花筏 あきらめるにも才能が要る toron* 大きな川には大きな花筏が、狭い側溝には小さな花筏ができる。その幅を越えた花筏は出来ない。持っている以上のことは出来ない喩えと取った。そして出来ない事に気づくことにも諦めることにも才能が必要だ。残酷な話だが。

巻き貝を耳に当つる歌読めば爆ぜるやうにああ海に会ひたい 岡本康江 コクトーの詩「私の耳は貝の殻 海の響をなつかしむ」を思い出した。この歌の特徴は下句の感情の吐露だ。爆ぜるやうに、という喩えと海への憧れが直接的に詠われる。人のように「海に会ひたい」という表現も魅力。

借り物の生にこんなに服がいるマフラーだけで何本なんだ 佐復桂 人生は借り物、という哲学的な思索とは別に、やたらと服を買ってしまう現実の自分がいる。マフラーだけで何本も。服や靴はもっとあるのだろう。生まれる時と死ぬ時は身体一つだとしても、その中間には服が要るのだ。

足を打ちついに大地を仕留めたりオオカミのような髪の踊り手 松本志李 一連の他の歌からスペイン、アンダルシアの洞窟でフラメンコを見た時の歌と取った。激しい足のステップが特徴だが、その最後の一打で「大地を仕留めた」と捉えた。フラメンコの魅力が伝わってくる。

⑳鈴木晴香「月集評」可燃性の身体であれば焼き尽くすガス点ける手にためらいあらず 川本千栄〈死者の肉体を即物的に捉えたり描写したりすることを私たちの心は拒むが、作者はためらいのないその手を描くことで、世界の本質を暴いている。〉取り上げていただきありがとうございます!

2022.9.7.~19.Twitterより編集再掲