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春の記憶

質問箱で、春の景色についてご質問が届いた。

「わたしにとっての春とはなんだろう」と記憶を辿ったとき、いちばん先に、あっという間にたどり着いた思い出は、「咲かなかったヒヤシンス」だった。

雪の残る外を映して白くぼやけた磨り硝子の窓辺の、
ぐずぐずに腐ってしまった球根。
それだけは澄んで綺麗だった硝子瓶と水。
それを見つめて肩を落とす人。


ちっとも、明るくも、楽しくもない思い出。普段思い出したことなんか一度もないくせに、いちばん最初に"春"と結びつく記憶。

わたしは春がすきだ。とても好き。雪は溶けて、明るくて、どこもかしこも柔らかくて、風はいい匂いがする。

こんなに素敵な季節に深く根を下ろす、全然素敵じゃないわたしの記憶のおはなしを書いてみる。このつまらない話が、読んでくれた貴方の美しい春を、濁らせることがありませんように。






わたしの生家は、山に抱き込まれるようにして、樹々に埋もれながら今もそこにある。裏山は、オカルトやミステリー系の動画が好きな方は、もしかしたら名前を聞いたことがあるかもしれない。低いけど少し面白い謂れのある山で、鹿や猿や猪がよく降りてきて、絶えず鳥や虫の声がする。そして、この家の日照時間はとにかく短い。だから雪も、ゴールデンウィークくらいまで残っていた年もあった。

雪に閉ざされる白い冬、けたたましい虫の声が降る青い夏、いっせいに葉が散る橙色の秋は、こと大袈裟に季節を実感する家だ。緩やかに巡っていく季節に振り回されながら、それ以外には干渉されることのない生活をしていた。


でも春は、この家では驚くほど存在感がない。樹々の枝が広い庭ごと覆いかぶさっているから、陽が当たらない家の周囲にはずっと雪の塊があって、家の中は初夏が来るまでずっと寒いのだ。といっても雪が溶けたって、初夏が来るより先に梅雨が来て、春らしい日々は少ない。


庭に、桜の樹でもあれば、それもずいぶん違ったのだろうけど。






もともと庭には、姉と私が生まれた年に植えた桜が7本あったのだ。毎年の短い春に慎ましく、数輪付ける花の幼さがとても好きだった。私と姉と同じ速度で大きくなる苗木を、あと何年したら大木になって、たくさんの花を咲かせて、そのしたで花びらを浴びれるだろうと、夢想もした。そう、わたしたちが小さなころには、家に春はやってきたのだ。短くて、曖昧で、取るに足りない春だった。でも、とても大切な季節だった。


わたしの家族には、花が、だい嫌いなひとがいた。花が咲く季節になると、彼は夏の終わりの向日葵みたいに顔を思い切り伏せて、そういった眩しい類のものたちから目を逸らした。
苗木がその人の身長を追い越したころ。「花を見てると、頭が痛くて、妬ましくて、苦しくてたまらん」と言って、彼は全部根本から切ってしまった。それは全部、彼が私たちのために植えてくれた樹だったのに。

庭からいろんな花が消えて、家の中にも飾られなくなった。短い春から花が消えたら、もう、冬の終わりの私たちの家には、何もなかった。





生家は、現在築80年程になる。木造二階建ての日本家屋。暗くて、寒くて、怖くて、子供の頃から好きじゃなかった。
そんな家の中にも唯一、花瓶がこっそり置かれていたところがあった。それは花を疎む家族が登ってこない、2階の窓辺。昭和独特の、模様の入ったすりガラスが嵌まっている出窓。母はそこに、水耕栽培用の小さな硝子瓶を置いて、毎年春にヒヤシンスの球根を据えていた。

いくつか本を出版されている主婦の方の生活に憧れていて、母は、ままならない自分の生活の中のお守りみたいにその人の本や雑誌をたくさん持っていた。その本の中で、ヒヤシンスを窓辺で育てる写真を見たのだそうだ。




「この窓辺にヒヤシンスが咲いてくれたら、すごく綺麗で、うれしくなるなあと、思って」


そう言って毎年同じ場所に置いていた。春という時期は何度も何度も通り過ぎていったけど、わたしは一度たりとも、ヒヤシンスの花を見たことがない。
球根からぷくりと丸くて青い芽は出るのだけど、枝葉が翳りを作る窓辺では明るさが足りなくて、それ以上大きくなれずにそのまま腐っていった。


母は毎年頑なに、同じ窓辺にヒヤシンスを置いた。絶対咲きはしない、その窓辺に。
我が家のどこにも、花を置くことが許される場所はない。だからここにしか置けないのだ。咲かないと分かっていても。本当は違う場所で咲くまで育てたくても。そのことに母が怒っているのを、母は気がついていただろうか。

「ここでもし咲いたら、嬉しいから」と言って、絶対に咲くはずのないヒヤシンスを見つめていた母のこと、春の終わりと一緒にぐずぐずに腐っていく球根のことを、幼い時のわたしはどうしようもないくらい、かわいそうだと思っていた。



✧ ✧ ✧




わたしは大人になった。

あの家を出てから、わたしは春の楽しみをたくさん覚えた。この時期にどれだけの花が咲いて、みんなが嬉しそうな顔をしていて、自分自身も楽しい気持ちになることも。

でも、ヒヤシンスの呪いじみたトラウマは、ちゃんと私の後を追ってきていたらしい。


今年の2月になんという偶然か、近所のおばあちゃんからヒヤシンスの球根をもらったのだ。「咲く時とってもいい香りがして、部屋の中が香りで一杯になるんやで」と、おばあちゃんは言っていた。


育ててみる?と聞かれて、その球根を手に取った。十数年ぶりに触った球根は、あの時より不思議と大きく見える。母と暗い窓辺を思い出していた。でも、咲かせられたらなにもかも許せるような、許されるような気がしたから、二度と触れるものかと思っていたその球根を、持って帰ったのだ。


一緒に貰ってきたガラス瓶に水を張って、球根を置いてみた時に初めて気がつく。その球根は一箇所、見えづらいところが腐っていた。なんとなく笑えて、そして少し悲しくなって、それでも「咲いてくれたら嬉しいから」と、わたしの家のいちばん南にある窓辺に置いた。


でも、球根は根と芽を伸ばして、茶色く傷みきった蕾をたくさんつけて、そしてそのまま、傾きながら腐ってしまった。





春はいつも落胆の季節だった。「今年もダメだった」と肩を落とすことを分かっていながら、理想を捨てられないでいた母と、腐った球根を捨てる母を見つめる自分。本当は、たくさんでなくても優しい花に囲まれていたかった人なのだ。母があの日々の中でそんな些細な願いさえかなえられなかったこと、そう生きれなかったことを、心底、わたしは落胆していた。


結果が見えていても、信じたくなる気持ち。
馬鹿だったなあと思う情けなさ。
理想をゴミ箱に捨てるときの遣る瀬無さ。
次の春が来れば、去年までの痛みを引きずりながら、もう一度夢を見てみたくなる淋しさ。

春、世界がどんなに暖かくて眩しくても、わたしたちの家には届かなくて、でも「春」がきたのだから私たちももしかしたら上手くいくかもしれないって、そんな虚しくて悲しい希望を何度も繰り返す。


春は、そういう季節だった。



✧ ✧ ✧



わたしのヒヤシンスが死んでから1週間ほど経って、球根をくれたおばあちゃんの家の前を通りかかった。道から見える陽当たりのいい窓辺に、信じられないほど目を引く、青紫色の花が咲いているのを見て、思わず足を止めた。ずっとずっとわたしが見たことがなかった、母が咲かせられなかった、それがヒヤシンスの花だった。



あんなに綺麗な花だったのか。



それを見た時は、感動とか驚嘆とか、そんなものより、わたしはただただ悲しかった。


小さいころわたしが見たかったのは、窓辺に咲くヒヤシンスではなくて、薄暗い家の中に花が咲く光景でもなくて、ヒヤシンスを咲かせて喜ぶ母だったことに、そのとき気がついたから。急に自分が小さくなったような、心細くて淋しい気持ちは、それから私に纏わりついて離れない。


この先、どんなにたくさんの美しくて優しい春の景色を見ても、春の楽しさを覚えても、
もう記憶の中の、暗い家に花は咲かない。記憶の中の母がヒヤシンスを咲かせることもない。わたしがヒヤシンスを育てることももうない。

きっとわたしの春は、ずっと淋しいのかもしれない。


だって、わたしはこの先もずっと、部屋の中で咲くヒヤシンスの香りを知らないのだから。

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