リンゴクレクレ
遠く離れたところにいる友人に、りんごや桃をよく贈ったりします。
日頃の「ありがとう」や「久しぶり!元気?」の気持ちを込めて贈っています。
その友人は、様々な形でお返事をしてくれます。
魚、オススメの本、お手紙、誕生日プレゼント、等々…。
このやり取りが私は最高に大好きです。
お返しが欲しいなぁなんてことは考えずに送っていました。
私が贈りたくて贈っているので、届いたよ~だけで満足。
でもこの友人は、私が忘れた頃に送り返してきてくれるのです。
私と同様、贈りたいから贈ったという、ただそれだけのようで。
この関係が私は心地良かったりします。
ちなみに、
今年もお返しに魚送られてこないかなぁ~なんてうっすらでも思っていると、返ってきません。笑
一方。
りんごクレクレ友人の話。
友人という関係だけを理由に、りんごを要求してきた友人。
その人にとっては、
"りんごをもらえること"と、その人と私の"関係性"は同等の価値だったのかもしれません。
でも私にとっては、そう思えませんでした。
人によってはおそらく、そのくらいあげてもよかったんじゃない?と思うかもしれません。
私は許せなかった、ただそれだけです。
去年は手伝いに来てくれたけど、たった半日のお手伝いで2年分もりんごをもらおうというのはいかがなものかと…。
去年は初めて手伝ってくれたお礼にりんごを手渡しました。
農家が年間通して畑に通って、いろんな作業をして、美味しく実ったりんご。
手伝いもせず、なんの対価も払わずにもらおうという姿勢は理解し難かったです。
見えない価値というのは、やはり存在していて。
見えないからこそ、その人の人となりを表すというか。
私はこれからも、自分が心地良いと思える関係を大事にしていきたいですね。
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