遺す、遺していく
ネットショッピングサイトの送付先一覧から母の名前をいまだ消せずにいる。
もう何年も前、帰省する余裕はないが母の日に何かプレゼントを贈りたいと思い至ったとき、ネットショップを使った。たしか和柄のちりめんで作られたメガネケースや小さなくまのストラップのセットを選び、送り先を実家の住所にして送ったのだ。それ以来、ネットショップのアカウントに母の名前と実家の住所が残っている。
それから数年後、母は亡くなった。
ちりめんの小さなくまは、実家にぽつりと残されていた。それを目の当たりにしたとき、私の心に、私たちは大切なものをどれだけ大事にしようと死んだら何ひとつ持ってはいけないだと、強く刻みつけられた。
ある創作仲間の姿をSNSで見かけなくなりしばらくした頃、その仲間の訃報を知った。
その人は苦しみを抱えながら、現実を直視し、きれいごとを排した力強い文章を書く人だった。一方でとてもやさしくて、私がつくったものを見てはいつもあたたかい言葉をかけてくれる人だった。
実際にお会いしたことは一度もない。ネット上で文字によるやり取りをしただけだ。それでも、「生きていてくれてありがとう」と言ってくださったことを、今でもちゃんと覚えている。その言葉は心の中の宝箱に入れて、ときどき取り出しては力をもらっている。
ファイナルファンタジー零式というゲームの世界では、死ぬとその人に関する記憶が生きている人々からごっそりと消え失せてしまう。たとえ故人とどんなに親しい間柄であっても、その心には「大切な何かが失われた気がする」という虚無感が残るだけだ。
たしかに「記憶がなくなってしまえばいい」と思うときはある。それは大切な存在を失ったあまりのつらさに身体すら耐えかねるときだったり、もう二度と新しい記憶を重ねることができない悲しみを直視して眠れない夜だったり。
でも、それはたいがい一過性の感情で、冷静になれば大切な人を思い出せないほうがよっぽどつらく悲しいと思う。だってもう二度と会えないのだから。この脳内で再生する過去でしか会えないのだから。
大切な記憶たちはまちがいなく、今ここに生きている自分を構成する細胞のひとつだ。その記憶が消えるとすれば、それは自分の一部が死んでいくことと同義だ。
何も持っていけないのに加え、何も遺していけない。もしもそんな世界だとしたら、極端な話、生きていく意味などあるだろうか。
私にとってここは、どれだけ考え抜いても生きる意味など見いだせない世界だった。見渡せば見渡すほど暗い現実ばかりが見つかり、至るところに苦しみや痛みが転がっている。日々言葉にすらならない呻きを吐き出しながら、おぼつかない足取りで生きている。
生まれてよかったとは思えない。この遺伝子を新たな命に受け継がせるつもりもない。死ぬときは「やっと終わりが来た」と喜びすら覚えるだろう。
それでも、こんなに苦しんでまで生きているのだから、何か生きた証とでも呼ぶべきものを遺したいきもちは持っている。
それは決して形に残るものでなくていい。たったひとりの、心の中にほんの少し残れば十分すぎるほどだ。たとえばネットショップの送付先一覧を見るたびに思い出す母の日の思い出とか、ネット上で思いがけずもらった救いのような言葉とか。そんな断片的な何かを遺せたら、それだけで生きた意味になるだろう。
昔、知人が「思い出すのも供養のひとつだよ」と言った。もしかしたら私たちは、故人を思い出すことで、その人がたしかにこの世界で生きたのだという証明をしつづけているのかもしれない。
亡くなった人は星になって私たちを見守っていると言うならば、この証明は夜空にも届いているだろうか。この証明が、あなたが抱えていた苦悩や悔恨を、ほんの少しでも癒せはしないだろうか。
最初に「ネットショッピングサイトの送付先一覧から母の名前をいまだ消せずにいる」と書いたが、これは少しまちがっているかもしれない。
私は、逝ってしまった命を忘れたくないから、ネットショッピングサイトの送付先一覧から母の名前をいまだ「消さずに」いる。その命が遺したたくさんの断片のひとつとして。
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【お知らせ】折本を配布中です
ここまでお読みいただきありがとうございました。ただいまコンビニのマルチコピー機の「ネットワークプリント」を使い、このエッセイを折本として配布しています。
折本とは?
一枚の紙をカンタンに折りたたんで作る本のこと。今回はA4サイズの紙の表面だけに全ページを印刷し、皆さんの手でちょっと切り折りしていただくだけで小さな冊子が完成します。
ネットワークプリントの利用方法
お近くのコンビニにあるマルチコピー機をご利用ください。A4サイズのカラー片面印刷で1枚60円(こちらは印刷代で、私の収益にはなりません)。フチ・余白・ちょっと小さめ設定は「なし」推奨です。
配布期限が一週間程度となっているので、ご希望の方はお早めに!
◇セブンイレブン
予約番号:73717764
(2023/05/03 23:59まで)
利用法はこちら↓
◇ローソン・ファミリーマート
ユーザー番号:Y9BCUQW44A
(2023/05/04 11時頃まで)
利用法はこちら↓
折り方
このブログを見ながら折りました。カンタンだけどきれいに作ろうとするとなかなかコツがいるかもしれない。
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巻末付録:ちょこっと月報
池袋パルコでおこなわれていた「有吉の壁展」を見に行ったら、すぐ目の前に「コウペンちゃんダイナー」というコラボカフェがあったので軽率に入った。大人なキャラメルサンデー、おいしかった。客層が幅広すぎて、なんでもほめてくれるコウペンちゃんを必要とする人が多いのだなと思った。私も生きてるだけでほめられたいもんな。
人間が難しい。他者のきもちはわからないし、自分のきもちすらもよくわからない。ごめんなさいって言い合ったのに距離感を元に戻せなかったり、あんなに好きだったのに急に冷め始めたり。一人でいたいけど独りではいたくないし。推していたけどいろいろあって推しじゃなくなった人の歌を久しぶりに聴いたら、素直に涙が出た。時間だけが解決できることが、身の回りには思っているよりも多いのかもしれない。
◇今月の一曲:V6 / It’s my life
良いんですか?ではありがたく頂戴いたします。