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点と線

今はもう捨てた黄緑色のカーテンを思い出す。一人暮らしを始めるとき、近所にあるスーパーの二階で、親に買ってもらったものだ。

妙にテロテロとした素材で、中途半端な光沢をたたえた、いかにも安っぽいカーテン。アパートの窓にサイズが合わなくて、母が手縫いで丈を詰めてくれた。

六年前の夏、私はそのカーテンを朝から朝まで閉め切っていた。

追い詰められていたんだと思う。

毎晩Googleの検索窓に「自殺 方法」と打ち込んでいた。「自殺 方法 苦しくない」のときもあった。服毒がいちばんいいなと思ったけれど、毒の入手がどうにも難しそう。やっぱり首吊りかなぁ。

大学二年生だった。でも、窓の外、蝉の声がうるさくなるにつれ、大学にはだんだん行かなくなっていった。同じ学部内に友達はいなかった。それはつまり、代理出席をしてくれたり、代わりにレジュメをもらっておいてくれる人もいないわけで。一回休めばますます足は遠のいた。授業についていけなかったし、ついていく気も失っていた。

なかった。未来が。

高校までは、なんとなくでよかったのだ。「進路」というものなど、ぼんやりだろうがどうにでもなる。大学は、そこにどうしても行きたかったわけじゃなかった。第一志望校は落ちた。ここはすべり止めだった。でも、だからやる気がないのか?と問われると、それも違う。そもそも私は、「なんとなく」大学に進んだだけだ。

大学に行って卒業して就職して結婚して出産する。私に求められてるのはただそれだけだと、思い込んでいた。求められている?誰に?父親に。


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教育とは、一種の洗脳だろう。しかも、子どもの一生を左右するほどの。家族の価値観は、気づいたときにはもう自覚できないほど深い部分にまで根を下ろしている。

いい大学に行き、まっとうな就職をして、いい頃合いで結婚して、当たり前のように出産して。父親の望む私。盲目的に従ってきた私。そこに私の意思はなかった。すべては私の意思だと思い込ませてきた。

大学のサークルきっかけに写真を始めた。Twitterで知り合った人とリアルで会った。大好きなコブクロのライブチケットを買うために、人生初のアルバイトを始めた。早朝のパチンコ屋清掃。あっというまに昇進、サブリーダー。上司によるプライベートへの過干渉。いつまでたっても仕事ができない年上の部下。英会話の授業が苦痛。何を言っているのかさっぱり。サークルの先輩と一週間だけ付き合って一方的に振った。サークルに顔を出さなくなった。

一人暮らし。常に生活をともにしてきた家族との距離。私を取り囲む価値観、私の私に対する認識、それらの劇的な変化。きっと、洗脳が解けたのだ。

父親の望む私と、私が望む私。解離、分離、分裂。息苦しくて息苦しい。


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小さい頃、こっそり書いていたファンタジー小説。憧れはいつもいつもお笑い芸人。イヤホンから流れる歌、そのミュージックビデオに出ているつもりで歩いている。スポットライトを浴びながら泣き叫ぶ空想。私は道半ばで最愛の人を失う、悲劇のヒロイン役。廊下に貼られた写真部の勧誘ポスターは見て見ぬ振り。

なぜ踏み出せなかったのだろう。
なぜ踏み出さなかったのだろう。

後悔が溢れれば溢れるほど、太陽の光が憎らしくなった。だってまるでスポットライトだったから。黄緑色のカーテンを閉め切った。ごはんもろくに食べぬまま、ぼんやりとした脳みそが気持ち悪くって、怠惰に寝る。毎日がそのループ。ただ迷惑はかけたくなくて、アルバイトだけは律儀にこなした。私はどうやら妙に真面目だった。

「最期に何か観よう」

そう思ったのもきっと、スポットライトへの憧憬と嫉妬が、奥深くにこびりついていたから。

一時間もあればたどり着ける場所に、よしもとの劇場がある。スケジュールを調べたら、トータルテンボスのトークライブがあるらしい。税込1500円のチケットをネットで購入し、ファミリーマートで発券した。全席指定、私の席はD列四番。チケットの券面が、カーテンと同じ黄緑色だった。


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「ここに近く死のうとしている人間が来ているなど、誰も考えちゃいないのだろうな。」

これは「このライブで私は救われたのです」なんて希望の話ではない。ただ、私にはすでに正常な判断能力などなく、ただトータルテンボスのトークライブに行った。それだけの話だ。

トータルテンボスは好きだ。大村さんと藤田さんが小競り合いして、大村さんが藤田さんの内ももを攻撃し、藤田さんが「なぜ内ももだぁ!?」とツッコむのが特に好きだ。

だが、私が正常な判断能力を持っていれば、最期のライブにトータルテンボスは選ばなかっただろう。どう考えても、十年ちゃんとファンでいるコブクロだ。もっと言えば、私が正常な判断能力を持っていれば、そもそも首を吊ろうなどと思わなかったし、遺書なんて書こうとも思わなかっただろう。

トークライブの内容は、ほぼ覚えていない。

ひとつだけ記憶しているのは、藤田さんが「俺はケツバットされてもリアクションしない」と言い、それならばと大村さんが藤田さんのお尻にフルスイングでバットを叩き込み、そして藤田さんがただただ思いっきり痛がった、その一場面だけだ。

一週間後、私はAmazonでロープを注文した。


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ロープの注文履歴は、いまだに残っている。
結局吊りきれなかった私は、いまだに生き残っている。

薄暗い部屋で、惰眠と思考を繰り返していたあの夏。その中に無意味に横たわる、トータルテンボスのトークライブに行った記憶。

根底は生きたがっていたのだろうか。スポットライトを浴びる何者かをみて、私は私を奮い立たせようとしていたのだろうか。それとも、私は私に「無理だよお前には」とトドメを刺そうとしていたのだろうか。

だからなんだというのだろう。

私が死のうとした日は、祖父の命日だったらしい。その祖父の名には「亀」が含まれていて、だから私の名には「鶴」がついた。鶴亀。縁起は良いが、私はその祖父を知らない。私が生まれるよりかなり前に亡くなっている。記憶といえば、よく知らぬ親戚の結婚式で見た遺影だけだ。

だからなんだというのだろう。

本当に、無意味だ。私たちの営みは。

できごとはできごとでしかないのに。「点」でしかないのに。私たちの人生は所詮、膨大な「点」の蓄積だ。それでも私たちは、人生を点と点を結んだ「線」で捉えようとする。この「点」があったから、今があるのだと。

過去に意味づけを施していくことが人生ならば、私は真剣に死へと向かう中でトータルテンボスのトークライブに行ったことを、どう表せばよいのだろう。私にはわからない。だってあの夏の私は、そんな無意味な営みに打ち込めるほど、正常じゃなかった。

この文章にはただの「点」がたくさんある。

一方で私は、この文章を書くことで「線」を引いている。

私の人生に父親の望みを持ち込む義務はない。「点」は「点」のままにしたっていい。すべてに意味を求めて今と繋げようとすれば、死のうとしたあの夏のように、たちまち追い詰められてしまう。存在しないのだ、運命も宿命も。

一方で、意図的に「線」を引いたってかまわない。深刻な過去の色を和らげる、そんな今を紡ごうとすること。「あの日々を無駄にはしない」と決意したなら、「点」は起爆剤となる。「点」の意味は自分がつけるものだし、自由に変えられるものだ。それが「線」を引くことだ。

矛盾している?都合よすぎ?

いいじゃないか。そもそも心は論理的にできていないし、この人生は自分に都合よく生きていかなきゃ、あまりに苦しい。

「あの夏、死に向かったからこそ今があるんです」と言えるようになろうかな。いつかきっと。いつになるだろう。明日かもしれないし、十年後かもしれないし、死んだ後かもしれない。それでも、今は自分のための「線」を引きたい。


 

良いんですか?ではありがたく頂戴いたします。