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打ち上げ花火は、一瞬でも一発屋でもない

1年前は隅田川の花火を見ていた。一瞬で消える大輪の花。輝きは目の前から消えても、心に残っている。

花火はあっという間に消えてしまうが、記憶に残る。美しい人のように。

花火は江戸時代から観賞用に普及している。1733年、両国の川開きの花火は大飢饉や疫病によって亡くなった方への供養が起こりというが、定かではない。ただ、悪霊退散や死者への鎮魂という意味合いはあっただろう。

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花火は多くの記憶を呼び覚ます。

小さい頃の線香花火、夏祭りやキャンプ、花火大会。ディズニーや野球の試合で上がる花火。

楽しい思い出が多いが、今は見るとうっとりした後で寂しくもなる。終わってしまった…と。でも一瞬だからこそ、記憶に残るのだ。誰と見たのか、温度や湿度、帰り道まで思い出せる。

だから、映像よりもその場で見たい。

おなかにどんと響く音。

漂ってくる火薬のにおい。

じわっとにじむ汗。

思わず漏れる歓声、ため息。

パチパチパチ…とはじける音。

最後の火の粉が消えるまで、目で追う。

花火大会は台風や雨で延期や中止になることも多い。中止になったら、その花火は無駄になってしまう。それでも、上がらなかった花火までもが、記憶に残る気がする。見たかったなあ。どんな花火だっただろうか、と。

花火は華やかだが、花火師の仕事は地味で体力勝負だ。色をち密に計算し、上がり方を考え、コツコツと作る。それでも角度が違ったり、風に流されたりして、なかなか思うようには上がらない。会心の一発は一度の大会で一発か2発、あるかどうかだと聞いたことがある。

「だから、来年こそはって毎年作るんですよ」と寡黙な花火師は語っていた。

今年は、ほとんどすべての花火大会が中止に追い込まれた。でも、「人々に勇気を与えたい」と単発で花火が各地で上がった。私は見られなかったけれど、その心意気がうれしい。

心に美しい思いを呼び覚ましてくれる。

花火のような人とは、一発屋などではない。美しく記憶に残る人のことだ。

例えば女優なら少し前になるが、夏目雅子(1957-1985)か。白血病で亡くなるまで9年間しか女優として活動できなかったが、その記憶は鮮烈だ。大輪の花のように美しい人だった。「鬼龍院花子の生涯」「瀬戸内少年野球団」「時代屋の女房」などの映画や数多くのドラマに出演して、透明感のある美しさが際立っていた。

詩人だともっと前になるが、金子みすゞ(1903-1930)。詩人であったが、夫との問題がこじれ、26歳の若さで服毒自殺をした。心に残る、やさしい詩をたくさん書いている。「私と小鳥と鈴と」の一節「みんなのちがって、みんないい」の言葉が広く届いている。

彼女に「花火」という詩がある。

『花火』 詩 金子みすゞ

あがる、あがる、花火、

花火はなにに、

やなぎと毬に。


消える、消える、花火、

消えてはなにに、

見えない國の花に。


どこかの国の花になっているだろうか。

花火の詩は北原白秋(1885-1942)も書いていて、空気感が伝わってくる。

『花火』 北原白秋

花火があがる、
銀と緑の孔雀玉……パツとしだれてちりかかる。
紺青の夜の薄あかり、
ほんにゆかしい歌麿の舟のけしきにちりかかる。

花火が消ゆる。
薄紫の孔雀玉……紅くとろけてちりかかる。
Toron……tonton……Toron……tonton……
色とにほひがちりかかる。
両国橋の水と空とにちりかかる。

花火があがる。
薄い光と汐風に、
義理と情の孔雀玉……涙しとしとちりかかる。涙しとしと爪弾の歌のこころにちりかかる。
団扇片手のうしろつきつんと澄ませど、あのやうに
舟のへさきにちりかかる。

花火があがる、
銀と緑の孔雀玉……パツとかなしくちりかかる。
紺青の夜に、大河に、
夏の帽子にちりかかる。
アイスクリームひえびえとふくむ手つきにちりかかる。
わかいこころの孔雀玉、
ええなんとせう、消えかかる。


この感じ…赤くとろけてちりかかる。私の心にもちりかかる。

儚いようで、花火は人の心に残る花だ。どうか来年は見られますように。






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