金のリンゴ1

「時宜に適う言葉」

(年齢を重ねるにつれ、「言葉」というもののある種の怖さを感じるようになって参りました。若い頃は刃物のように言葉を振りかざしていましたが、今に思えば、怖いような未熟だった自分を痛感しております・・・また、以前書いた短文のアップになります。)


「時宜に適って語られる言葉は、銀の器に盛る金のリンゴのごとし」

 先日読んだ103歳の美術家・篠田桃紅さんの著書の中で引用された旧約聖書の1節です。桃紅さんは若いころ、当時は不治の病であった肺病にかかり絶望しかけた時に、若いお医者さんが即座に「今は治りますよ」と掛けられた言葉に、心から救われたとその著書の中で述べられています。その時の桃紅さんにとってその言葉こそ「時宜に適って語られる言葉」だったのでしょう。

 いくら良い言葉であっても、受け手にとっての状況を無視した言葉やタイミングを外した言葉であれば、その意味は薄れてしまいます。いや、それが良い言葉や正論であったとしても、逆に相手を傷つけてしまうこともない訳ではありません。

 学生時代、恩師の鈴木格禅先生がよく言われていました。「言葉は人を生かすことも出来るが、人の息の根を止めることも出来る。だから言葉は心して使いなさい。決して不用意に使ってはいけない」と。先生は当時、厳格でストイックな禅僧として有名な方で、学生だった私は何度となく叱られたものですが、ただ叱るだけではなく、常に相手の心を観ながら言葉を選び、語られました。言葉の持つ、素晴らしさも怖さも身を以て知って居られたのでしょう

 30代のころ、色々な事が重なり行き詰まり感じた私は、逃げ出したい気持ちを抱え、已まれず恩師のご自宅を訪ねたことがありました。そんな私の気持ちを察した先生はこんなことを語ってくれました。

 「人生を歩んでいると、必ず前から矢が飛んでくるが、決してそれを避けてはならない。それを避けて逃げれば、お前は足元をすくわれて倒れてしまうだろう・・・ただ・・・」そして先生はご自分の心臓に手を当て「しかし致命傷を負っていけない。ここに矢が刺さりそうだったら、逃げるのではく、肩に刺せ!腕に刺せ!その痛みを感じながら生き続けなさい」。

 思い返せば、あの時、優しい慰めの言葉などより、このような強い言葉が、弱腰な自分に生きる勇気を与えてくれたことは確かなことです。
それが私にとって、忘れることの出来ない言葉となり、またそれが「時宜に適う言葉」だったのでしょう。

 それ以来、今なお私の身体には無数の矢が刺さり続けております・・・が、曲がりなりにもこうやって生きているところを見ると、先生の言葉通り致命傷だけは避けられて来たようですね。

 人がどん底にいるとき、掛けられたそのひと言によって救われることがあります。
「時宜に適う言葉」、相手を思い、最も相応しいタイミングで放たれた言葉は、その人の人生に於いて決して輝きを失う事のない「金のリンゴ」のように、と表現されるものになるのかも知れません。

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