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私はあなたを止めません・・・でも・・・

 私の恩師は、禅僧としても学者としてもとても著名な方でしたが、その生い立ちは苦労に満ちたものでした。
 父親は自分が生まれる前に借金を残し蒸発、母親は自分を生んだお産で死に、十歳以上年の離れた自分を育ててくれた実の姉は、恩師が十歳の時に過労で病に倒れこの世を去った。

 少年期の恩師は「自分はこの世に必要のない人間」と思い込み、常に自殺を考えているような子供であったと語られていました。

 学生時代に恩師は、こんな話を私にして下さった。
 「ガキの頃、わしはある日、すべてに絶望して本気で死のうと思い、大きな橋の真ん中で欄干に手を掛けておった・・・さあ、もう逝くか・・・と思ったとき・・・リヤカーを引いた中年の男に声を掛けられた。
『小僧、死ぬつもりか・・・』わしは何も言わず頷いた。そのリヤカーの中は鉄くずと数枚のぼろきれだけだった。その男は『お前を止めるつもりはないが、これは俺が一日くずを売って稼いだ金だ・・・旨いものでも食って一日だけ生き延びろ』と言って数枚の札をわしの懐に押し込んで、そのまま立ち去って行った。
 今で言えば在日の朝鮮の方なのだろう。当時は酷い差別を受けながらも、必死に稼いだ大事な金を見ず知らずの子供に渡した。おそらく、自分にも同じ経験や思いがあったのだろう。わしは礼も言えなかったが、その時つくづく人の善意というものを感じ、反面固いもので頭を強く殴られたような気がした・・・わしは死ねなかった」

 二十数年前にその人生を全うされた恩師ですが、私は幾度となくその恩師に救われ、幾度となく固いもので頭を殴られ、その都度我に返ったような気が致します。

 この頃、公務員や若い芸能人の自殺のニュースを耳にします。とても心が痛みます。それぞれに辛い思いがあり自らの命を絶つ道を選んだのでしょう。私自身も知人を自死という形で失った経験もあります。

 もともと苦労を背負い生まれてくる人間、幸せと呼ばれる状態からどん底に落とされる人間・・・人の世において苦は日常です。明日、自分が絶望の淵に立たされるかも、それは誰にも分かりません。

「人生は苦に満ちている」・・・「一切皆苦」という東洋の仏教の考え方に、ハリーポッターの原作者J.K.ローリングやアップルのスティーブ・ジョブズは大きな影響を受けたそうです。そして絶望の淵から自分の道を見つけ、歩んだと聞きます。

 この頃、思うことは「苦」というものに苦しむのも人間・・・その「苦」を取り除いてくれるのも人間・・・人にはやはり出会いというものが必要な気がしてなりません。

 教え子の苦しい悩みを聞き続けた教会のあるシスターがいました。
彼女は、死にたいと相談してくる教え子たちに常にこう言ったそうです。
「私はあなたを止めません・・・でも、死ぬ前に必ず私に電話を下さい。最後にあなたの声が聞きたいから・・・」と・・・彼女に最後の電話をして来て自殺をした教え子はひとりもいなかったそうです。

 絶望の淵でも常に誰かの救いの手は差しのべられています・・・ただ、その手を勇気をもって掴むかは、やはり苦しくとも本人の生きる意思次第なのかも知れません・・・。

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