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「哲学を持って生きた人間が最後には勝つんだよ」

 これは数年前に亡くなられた尊敬する漆工芸家・小島雄四郎先生が最後に私に残してくれた言葉です。

 先日、昭和のビジネス界を代表する最後の人物・・・稲盛和夫氏が天寿を全うされました。生前稲盛氏にお会いする事は叶わなかったのですが、多少のご縁を感じております。
 私がまだ小学生の低学年の頃、両親の仲人でもあった名僧の通山宋鶴老師が師家として住職をされていた京都八幡の名刹円福寺僧堂によく家族で遊びに行っていました。私を孫のように可愛がってくれた宋鶴老師を京都のおじいちゃんのように思っていました。私は厳粛な禅寺僧堂でありながら、老師の孫のような顔で寺中をわがもの顔で遊び回っていました。
 実はその同じ頃に経営者としての苦悩と迷いを抱えた若き稲盛和夫氏が救いを求めて円福寺に通われていて、作務(寺の掃除や食事の用意)を時より手伝いに来ていたそうです。

 何十年も経ったある日、当時雲水として円福寺で修業をしていた兄貴のように慕っていた禅僧から「お前はむかし、よう東司(トイレ)や本堂を散らかしたり汚したりしよったが、今はあの有名な京セラの稲盛さんが、お前の垂らしたしょんべんを拭いとったんやぞ・・・この罰当たり小僧が!」と言われ酒を酌み交わしながら笑い合いました。今となっては恐縮の極みの話なのですが・・・。

 家の事情もあり、否応なく商人の道を歩んできた私ですが、稲盛さんにはご縁を感じながら同じ禅の哲学を持ち、商人として大成され成功者となった稲盛さんを仰ぎ見て参りました。
 晩年に出版された「生き方」という著書では、私欲に走らず、万人のためになる哲学を持ち不断の努力をすれば必ず成功者となり得ると若い世代に向けて激奨しています。
 私もその言葉にエネルギーをもらった一人です。

 ただ気が付けば六十歳を手前にして、稲盛さんのような成功者には成り得ず、非成功者の我が身を振り返ると今は少し違う感慨を持っております。
 多くの真面目で努力を重ねた先輩たちが商売の世界では成功者と成れず去って行くのを目のあたりにして参りました。
 どうしても商人の世界には「時代の運」というものがあるように思えてならないのです。
 我が恩師の口癖「人生はそうのっぺりしたものではない。努力したからといって必ず報われるとは限らない。結果はどうであれ只々自分の道を見つめて歩むのみ」戦争という「時代の運」に翻弄された世代の切実な言葉です。

 「近藤君、哲学を持って生きた人間が最後には勝つんだよ」という小島雄四郎先生のこの言葉は、勝者(成功者)になるという意味ではなく、哲学を持って生きれば道を踏み外すことなく必ず現実の成否を超えた自己実現ができるんだよ。私は先生の言葉をそう解しています。

 六十歳を手前にして、今は自分の成功などは考えず、只々自分の哲学に正直に我武者羅に残された時間を突っ走ろうと思っています。
 「成功など時の運だ。」そう思えたとき何故か若い頃の自分よりエネルギッシュに仕事をしている自分を発見しました。

「人間本来無一物」・・・何を手に入れ、何を残すかではなく、己に恥じることなく生き切ること、それが私の今の「生き方」です。

追記として・・・禅の生き方を貫かれた偉大な商人であり、人生の大先輩である稲盛和夫氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。近藤智禅合掌


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