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二次創作を「黙認する自由」について思うこと

Twitterで著作物の二次創作について、興味深いツイートがありました。

作家の「架神恭介」さんによるもので、「二次創作にNGを出す権利」と、「黙認する自由」を対置しているのが興味深いです。

以下のようにリツイートしたところ、「考えをまとめた記事を書きました」とコメント頂きました。

~頂いた記事~

こちらの記事を読んで、架神さんには、「本当にあらゆる二次創作は違法であり、二次創作者は犯罪者なのか?」。さらには、「全ての二次創作が一からげに『悪』ではなく、それを決めるのは著作権者なんじゃないの?」という問題意識があるのかなと思います。

私としては、この意見に基本賛成なのですが、その考えに至る軌跡について、「なぜ二次創作は著作権法上、親告罪のままなのか」という出発点から、アンサーソングとして書いてみたいと思います。

※本記事は、『裏 法務系アドベントカレンダー2020』の提供で、クロトワさんからバトンを引き継ぎお送りします。

1、二次創作が「親告罪」であるワケ

まずは親告罪の定義より。手元にあった法律学小辞典(有斐閣)など参照してみます。

親告罪:公訴の提起に告訴のあることを必要条件とする犯罪。親告罪であるかどうかは、当該犯罪ごとに明文で規定されている。
親告罪が認められるのは、事件を公にすると逆に被害者の不利益となるおそれがあり(例:強姦罪)、又は事件が軽微で被害者の望まないものまで処罰する必要がない(例:器物損壊罪)などのためである。・・・(以下省略)

二次創作された事件が公にされると被害者の不利益、ということは想定しづらいので、後半でいう「事件が軽微で、被害者が望まないものまで処罰する必要がない」という点が、著作権法上の侵害行為を親告罪と扱う根拠となりそうです。

では何をもって「事件が軽微」といえるのか。著作権の世界では「著作権者が損害を受けたかどうか」で判断させれば良いという考えでしょう。

例えば、アニメイベントでコスプレ衣装を手作りして着る行為は、条文上は複製権侵害(著21条)、翻案権侵害(著27条)に該当しますが、著作権者の立場で考えるとどうでしょうか。

ファンが盛り上げている限りは逆に作品の宣伝になって、ブルーレイが売れるかもしれない。少なくとも害にはならなさそうだから黙認しておこう。

一方、過剰にエロい衣装を作って披露しだして作品のイメージを下げだしたら、その人にはお引き取り願いたい。また、人気作品になってハロウィーン向けのコスプレ衣装をアパレルメーカーに許諾していたら、Amazonで中国製の無許諾衣装が売られていてメーカーから「商売にならないよ!」とクレームが来た・・、これらは損害になるから著作権で排除したい、という判断が出てきます。

このように、著作権者の立場によるさじ加減で、第三者による「著作物の利用行為」を上手くコントロールさせよう、ならば親告罪で良いというのが著作権法の発想です。

では、何故「著作権者」に対しそのようなコントロール権をゆだねているのでしょうか。著作権法の法目的に鍵があります。

著作権法1条
この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公平な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする。

著作者等の権利をしっかり守りつつも、それを利用しようとする第三者や社会とのバランスも取り、結果的に文化を発展させていこうという、言葉で書けば簡単ですが、それって滅茶苦茶バランス取り難しいやつやん・・というのが著作権法の目的です。

普通、刑事による秩序の維持は「公権力」のお仕事です。

ただ、窃盗罪・強盗罪のような有体財産に対する罪なら、警察が横から見て「これはしょっ引こう」と判断しても大体間違いはないのですが、著作権の場合、翻案されて二次創作が出た著作者がむしろ喜び、メリットもあったなんてことが普通に起こる。それなのに権利者を無視して捕まえられるようにすると、お手柄のはずが、「おい警察、空気読めよ」的な話になっちゃいます。

そこで、もう侵害を刑事的に排除するかどうかの判断を著作権者に委ねようと。著作権者であれば何を黙認して、何を許さないか一番分かっているだろうし、少なくともコンテンツにとってベターな判断をしてくれるはずだと。

著作権を正当化する根拠は、所有権に拠るものと、著作者の個性を反映した人格権的な側面に拠るものの2つがあり、法律上も2つの価値が併存しているのですが、私としては「著作権者が一番作品のことをわかっているし、社会的にも悪いようにしないよね」というのが、著作権者にコントロール権をゆだねている理由として一番スッキリするように思います。

※参考 非親告罪化をめぐる一連の議論

TPPを受けた2018年改正でも、非親告罪化されたのはいわゆる「デッドコピー類型」のみに留まり、二次創作のような翻案による侵害は親告罪のままです。

↑文化庁のホームページで「例えばいわゆるコミックマーケットにおける同人誌等の二次創作活動については,一般的には,原作のまま著作物等を用いるものではなく,市場において原作と競合せず,権利者の利益を不当に害するものではない」と記載されてますね。

巨大化したコミケビジネスの環境下では権利者の利益を不当に害する場合もそれなりにあるとは思いますが、それは権利者が自分で判断してね!ってことでしょう。

↑親告罪の考え方などきれいにまとまってます。

↑2008年の記事。この議論って10年以上前からやってたんだ・・と感慨深いです。2018年よりも当時の方が盛り上がってた記憶。「言論の自由に対する萎縮効果」とか、「第三者による告発の乱用で、創作活動が萎縮する恐れ」という意見が多く、『萎縮』がこのときのキーワードですね。

2、犯罪、そして「犯罪者よばわり」は適当か

何で親告罪扱いなのか、というのを押さえたところで、「犯罪」と「犯罪者」の定義もみてみます。また法律学小辞典を引いてみたところ、「犯罪」はあったのですが、「犯罪者」の項目はありませんでした。

犯罪:刑罰を科せられる行為である。実質的には社会的寛容の限界を超える社会に有害な法益侵害行為であるが、形式的には犯罪構成要件に該当し、違法かつ有責な行為をいう。

‪でたー、「構成要件に該当し、違法かつ有責な行為」!口に出して言いたい刑法用語です。

ただ、これってあてはめには有効ですが、「じゃあ何でその行為又は結果が違法で、処罰されることになってるのよ?」という根本的な疑問には答えてないんですよね。

では著作権を侵害したら下手したらしょっ引かれて刑務所に入れられてしまう・・刑事罰まで課される処罰の重さの根拠は何でしょうか。「法律がそうなっているから」では子供の理屈でしょう。

これまでの考察を踏まえると、以下のように整理できます。

<二次創作を罰する保護法益>
① 著作権者の著作物をコントロールする権利=財産権を守る。
② 原作品を創作した著作者の人格権を守る。

→著作物に関する財産権や人格権を法律が守ってくれるという安心感が、創作へのインセンティブを与え、創作活動を促進する。一方、保護しすぎると創作の利益を享受する「受け手(社会)」の利益が失われていくのでバランスが重要。

①は、「漫画村」のような原作品がそのまま読める=買わなくていいじゃんというデッドコピー型であれば、「売上が減って、財産権が損なわれる」とストレートにわかりやすいです。ただ、二次創作のような翻案物はどうでしょうか。

そもそも原作品を鑑賞しなければ、キャラクターの魅力が分からず二次創作も楽しめない。多少なりとも「二次創作から原作品に入る」ユーザーもいるはずで、また「二次創作があるおかげで原作にさらにのめりこんだ」ユーザーも出てきます。

現在の商業化・複雑化したコンテンツビジネスでは、「原作品を翻案して新しい著作物を作る権利(例:原作漫画のアニメ化・映画化)」が大きな武器になっており、勝手な翻案物は許さない・・という財産的な価値はあるのですが、じゃああらゆる翻案行為を叩きたいかといえば、そうでもない。それこそケースバイケース、著作権者のさじ加減になりそうです。

②は、「健全作品の18禁コンテンツ化」が典型的な例でしょう。原著作者・著作権者(2つは権利譲渡により異なり得ます)が望まない形でコンテンツが創作され、望まない形で消費される。

この「消費される」という行為については、本来、受け手側の自由であり、コントロールになじまないのですが、少なくとも「著作物が望まない形で加工される」というのは人格的に傷つく著作権者はいそうです。加工せずそのまま消費してくれってことですね。(これに対して、加工し消費する自由というのも観念し得るとは思います)

・・・①、②を具体的に考えていくと、確かに「保護法益」としてはなるほどなと思う反面、「どういうケースで著作権者に損害が生じ、人格的に傷つくのか。その内情まで、分からんがな」という気持ちもしてきます。

確かに、鬼滅の刃の「無限列車編」が大ヒットしている中で、第三者が「じゃあうちが無限城編、先に映画化しときますね!」と勝手に翻案したらそれは全力で潰しにいくでしょう。①財産権侵害でめちゃくちゃ分かりやすい。

一方で、漫画・アニメ作品の2次創作物、ファンアートや同人誌はどうでしょうか。ある作者は「自分が描いたキャラが絶対であり、第三者に変にいじられたくない。作品だけ見てもらいたい」と考え、ある作者は「元々は自分が作ったキャラだけど、他の人が描いた絵を見たり、独自のキャラ解釈に触れたりするのが面白い」と考える。

数十冊売る程度の同人活動は許容できても、壁サークルになったり通販委託をガンガンはじめてそれで生計立てられるレベルまで成長したら許せない。じゃあそのラインはどこなのか?・・・著作者側の「ビジネススキーム」、もっといえば「心の持ちよう」に依拠してしまうように思います。

うーん、著作権法でいう侵害行為(複製、翻案、変形など)はかなり権利範囲が広いのですが、罰せられるも罰せられないも、「著作者の気の持ちよう」で決められてしまいかねないとは・・。そうはいっても、その著作物をどのように保護してほしいかを判断するのは著作権者以外に適任者がいなそうです。

・・・こう考えていくと、「著作物(作品)」のガーディアンに任命されてきた著作者は、作品世界が巨大化し、二次創作者(正規も非正規も)の影響が大きくなればなるほど、本当に作品の『後見人』として、著作権をコントロールしきれるのか?という問題も生じてきそうです。

巨大な作品は「社会の公器」化し、下手したら各国文化の看板すら背負う。ポケモン、ジブリ、ディズニー作品・・・。本当は大きくなった作品が意思を持ち、自らに最適な価値や存在意義を判断して、権利行使をしてくれればよいのですが、残念ながら作品はしゃべってはくれません。

巨大な作品になればなるほど、「著作権者は試される」。大きい作品になると『後見人』というよりは『代弁者』、もはや『神託者』になるのかもしれません。

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・・・やや遠くまで来てしまいました。犯罪&犯罪者よばわりの是非の話に戻りましょう。

一般的な理解として、「法律に反しており、処罰規定があるんだから抵触していたら犯罪だろ」、「犯罪を犯している人だから犯罪者だ!」というショートした意見が出るのは、まあ自然なことだと思います。

そもそも、統治する側としては「違法だからダメなんだよね」と深く理由は追及せず、素直に受け取ってくれる多数の一般認識を利用して秩序を作っています。何かあるたびに全員が何で違法なの?保護法益は?って聞いてくる世界はクソ面倒くさいですよね。

ただ、著作権の世界は、あまりに「形式的違法」の範囲が広すぎる。勝てるビジネスモデルがガンガン変わるので、財産権を守るために排除したいターゲットも変化する。著作権者だって、悩みます。どこまで侵害を排除すべきなのか?作品のための行動って何だろう?

・・こと著作権の二次創作については、「犯罪」、「この犯罪者!」など、第三者が、あんまり強い言葉を使わない方が良さそうです。

※ なお、個人的にはデッドコピー型には厳しく当たるべきとは思います。刑事手続を経ずして「犯罪者」と呼ぶのはやはり不適切ですが。。

3、著作権者、二次創作者、そして「観客」は、それぞれどう振舞うべきか

二次創作が法律上違法だといっても、その権利行使には色々と悩みが伴うという話をみてきました。

結局、著作権法が生まれた時代は、小説・音楽・絵画といった牧歌的な著作物を保護対象として考えていけば良く、「著作者にコントロールさせれば万事うまく行くだろう」という平和な世界でした。

しかし著作権が経済財としての価値を高め、メディアミックスにより「漫画・アニメ・ゲームなど複数の表現形式にまたがり、場合によっては二次創作者・さらに観客までもがコンテンツの共通認識に関与する大きな作品世界」なるものが出現しだしたことから、ことは単純ではなくなります。

※この問題意識は中山信弘先生の「著作権法」(有斐閣)(2~5P)でも、序章の『著作権法の憂鬱』として触れられています。

では、現代的な著作物を社会全体で「利用」していく上で、どのようにふるまえば良いのか?絶対解はないのですが、私としては①著作権者、②二次利用者(創作含む)、③その他の者、すなわち「観客」、それぞれが譲り合っていく必要があると考えています。

① まず著作権者ですが、「何が自分にとって許せる二次利用で、許せない二次利用か」を考えて、何らかの形で示した方が良いのかなと。

簡単に書きましたが、許せる・許せないの基準は時代やビジネス環境で変わるので、何らかの基準を示すことはものすごい勇気がいることです。なので表明しない方が断然楽だし、表明しないことを責められません。

ただ、ジブリさんのように「解放コンテンツはこう使って欲しい」というだけでもだいぶ違うと思うのですよね。これは内部的にももちろん議論されたのでしょうが、結果的にくどくどは言わず、簡潔かつジブリらしい表現になっているのはすごいと思います。

※本記事でもイメージ画像に「千と千尋の神隠し」の開放コンテンツを使用させていただきました。

② 次に二次創作をしたい側としては、その「二次利用」が法に触れているかどうかまず検討する必要があります。ただ、著作権法の建付け上、「私的利用(著30条1項柱書)」や「引用(著32条)」の範囲内として合法的に二次創作が許容される範囲はほぼありません。

ではどうするか。この点は、「その二次創作を許容するかどうかのコントロールは著作権者に委ねられている」という現実から、その作品の著作者がどう判断するかどうかを、自分で判断するしかないのでしょう。

例えば、コミケの二次著作物のように「法律的には違法だけど、実質的に黙認されている」ものについては、違法性というリスクを取ってでも表現したいのか。それは著作権者や作品の世界にとって『迷惑』ではないのかを自問して、自己判断でやる、やらないを決めるしかありません。

※ 権利者に問い合わせるという選択肢もあるのですが、権利者側としては「黙認してても良かったけど、聞かれた以上はダメと答えざるを得ない…」という判断になりかねないので、聞くのは慎重になりますよね。

結局、自己判断であっても、独りよがりに判断するものではなく、著作者の意見表明や、周りの二次利用の状況も見て決めることになるのでしょう。
80キロ制限の高速で周りが90キロで走ってるならそれに合わせるのと似ているかもしれません。いきなり140キロ出したり、周りを煽り出したらそれは「迷惑」で刺されるぞと。

ただ、90キロで走っていても絶対に差されないわけではない。権利者の心の読み間違いだってあるし、「見せしめ」というケースもある。なので二次利用にはある種の「覚悟」が必要です。

この「覚悟する」判断材料のためにも、権利者は面倒くさがらず、少しでもポジションを示して欲しいのです。勇気はいると思うのですが。

③ そして、著作権者でも、二次創作者でもない者、つまり「第三者≒観客」は著作権侵害を「違法だからダメ」というだけでなく、なぜそれが規制されるべきなのか、逆に規制しなくても良いのかを自らの視点で考えるべきでしょう。

ぶっちゃけ、「このキャラはこんなことは言わないので、この二次創作はおかしい」というのも理由としてはありだと思うのです。現代的なコンテンツにおいては、「多くの観客がどう感じるか」という共有認識も、メタ的に作品世界に取り込まれていくものでしょう。

ただ、最終的な判断は著作権者に任せてほしい。二次創作の何が良くて、何が悪いかはコンテンツの世界では本当に微妙であり、権利者には黙認する権利も与えられているのですから。

・・・著作者、二次創作者、観客のすべてに役割があり、それぞれの行動が結果的にコンテンツ(作品)の価値を高めていく。

著作権という人工的な権利の範囲は今後も変わっていくでしょうが、変化の中心には『作品』があってほしい。関係者それぞれの立ち位置での「コンテンツファースト」の動きが、著作権の未来を切り開くと思うのです。

その意味では、著作権者は「黙認する自由」を持つと共に、作品のためになる範囲において「黙認する義務」をも負っているのかもしれません。

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明日のアドベントリレーはttooo@リーガルさんです!

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