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振り返ってみる?

猿萩レオンさんの記事を読んだ。

なんて素敵なタイトル。本当にその通りだと思う。

レオンさんの体験記を読みながら、自分の出産のことがぶわーっと思い出された。

確か前にちょっと書いたなと遡ってみたら、以下の記事にちょこっと書いていた。でも怒りたおしてるやつやった(通常営業)下の記事は病院選びと真ん中すっ飛ばして産後の話だ。

今日は、自分の息子が産まれてきた時の話を書こうと思う。これから妊娠を考えている人、今妊娠中の方は戻るボタンでお戻りを。世の中には、体験するまで知らなくてもいいこともある。怖くなっちゃうかもだしね。注意されたし。

レオンさんは、出産予定日の10日前と書いておられたが、私の場合は10日遅れていた。初産のせいもあったが私があまり動いてなかったせいだと思う。だって怖かったんだもの。

何しろ初めてなのだ。しかも今回の初めてはそんじょそこらの初めてじゃない。異国で1人、それも自分のお腹の中にもう一個命を抱える大事件なのだ。

よくよく考えたらだいぶ気持ち悪いよね。自分のお腹の中で自分じゃない生命体が育っていくのよ?悪く言うと寄生されてんのよ(言い過ぎ)

これは、自分が愛した男との子供が欲しいと思ってなかったら、10ヶ月乗り越えていけない経験だった。

ま、今愛している男のスポットに鎮座してるのは、間違いなく息子なのだけど。え

レオンさんは、平日の昼間に産みたかったと書いておられたが、私は週末に産みたかった。何故なら、平日に産気づくと夫が仕事でいない。帰ってくるのに車で約1時間かかるし、ミーティング中なら電話にさえ応答出来ない。そんな時に産気づくとドイツ語も話せない日本人1人、だいぶヤバい状況になるぜと思っていたので、どうか週末にしてくださいと思っていた。

出産予定日を10日過ぎた週末、土曜日に丁度変わった夜中頃、トイレに起きたらペーパーに少量の血がついた。おしるしと呼ばれるものである。おしるしがあったからといってもすぐ産まれるものでもない事は知っていた。が、トイレでキチンと拭いたはずなのにパンツが濡れた。


え?ちょ、私、漏らしました?

妊娠後期になると赤ちゃんが膀胱を圧迫するので、とうとう私も排尿コントロールまで出来なくなったかと思ったのだが、拭いても拭いてもまた濡れる。

あ、尿じゃない破水だ。

同時にお腹も痛くなってきた。痛みの間隔を計るように教わっていたので計ったが不定期でよくわからない。痛みもまだ我慢できる。

とりあえず米を炊こう(理由は上記の記事を読んでね)炊いている間にシャワーもした。陣痛の合間に、おにぎりを握って準備が整ったところで夫に病院へ連絡させた。

破水してるなら来てくださいと言われて日が登るのを見ながら車を走らせた。

病室に案内されて諸々検査される。中でも苦痛なのが子宮口のチェック。どれだけ開いたか手を突っ込まれて検査される(言い方)
この時点で2、3センチだったろうか。とにかくまだまだでーすだったのだが、なにぶん破水しているのでこのまま入院ですとなった。

ひっきりなしに陣痛はやってくる。どんな痛みかというと、

んーと、下痢の時に下腹痛くなるやん?あれの酷い感じ。結構痛い。

ちょっと待って、この痛いやつ子宮口が10センチになるまで続くんやんな?嘘やろキツすぎ。

早朝に入院してからどんどん時間は過ぎてゆく。お昼になり陣痛の合間にご飯を食べた。歩いてと言われたけども、陣痛始まったら痛いし、痛みが遠のいていったら眠たい。土曜日に日付が変わった夜中1時ぐらいから寝ていないのだ。そりゃ眠いぜ。

そんなわけで大した運動もせずベッドに横たわったままだったので、ちっともお産が進まない。今考えたらちょっと無理してでも運動するべきだったとわかるが、あの時は恐怖と眠気で全くうまくいかなかった。

夕飯の時間が来ても子宮口が全開にならない。破水しているので夜になってもまだなら促進剤打ちますと言われた。夜11時ごろ促進剤を打たれた。そうすると、小1時間ぐらい後に猛烈な陣痛がやってきた。

今までも十分痛かったのにこれ以上痛むのん反則やん。

痛みを例えて言うならお腹の中に小さい掘削ドリルが進行してくるような感覚で、自分で痛みのコントロールが全く不可能な状態に襲われた。

痛い痛いと言っている間に分娩台がセットされていく。この病院では最初から産むスペースに通される。通常のベッドが設置されており、いよいよとなると足を開いて乗せる分娩台が接続される。同じ部屋には水中出産出来る用のバスタブや天井から太めの綱がぶら下がっており立って産むこともできる用意があった。私はそんな体力がなかったので通常スタイルで挑んだ。

子宮口は全開だ。さあ、いでよ!赤子よ!

気合いだけは十分だったが、一向に出てこない。痛いてまじで。

もう、無理ーと叫んだが、周りの医療関係者の人から、出来るー出来るーと言い返された。

いや、産むの私やん?あんたら産まんやん?

などと考えながらいきむ。

、、、出ない。

何度目かのいきみの際、急に右足の付け根がひどく痛んだ。

息子!そっち出口ちゃう!!

何度かトライするもなかなか上手くいかない。そこで、もう一回いきんでもしも無理なら帝王切開にしますと告げられる。

なんでもいいから終わらせてくれと思っていた。痛すぎる。

先生と看護師さんが私のお腹を上から押す。もう何が何だかわからない。痛みもマックスでその時私が考えていたことと言えば、「あぁ、私はこのまま死ぬんだな。でも、もう死んでもいいや」だった。引退するお相撲さんのように「体力の限界です」と思っていた。

先生が「切るよ」と言って会陰をハサミで切った。

ちょ、肉切られてんのに、その痛みがわからんぐらいお腹痛いってどやさ!!

最後もう一回いきむよーと言われてやっと息子が誕生した。産まれた瞬間、皆さんありがとう、椅子も机もありがとう、世の中の全てのものにありがとうという気持ちになった。

これはただ単純に嬉しかったのじゃなく、痛みのせいで脳内に麻薬ホルモンがバンバン出ているのに、痛みは産まれたらパスっとなくなってしまい、麻薬ホルモンに溺れた状態だったのだろうなと思う。

痛みからの解放が1番嬉しかった。息子は3550gで産まれてきた。デカいって。ゲルマン民族の血か。

おしるし以降の陣痛始めから、約24時間ぐらいの格闘の末、日付けは1日跨ぎ、日曜日の丑三つ時前に誕生した。願っていた通り週末に産まれてくれた。どうやら赤ちゃんはお母さんのお願いごとは聞いてくれるらしい。

次の日、担当医から言われた。

「欧米人とアジア人の子供は大きくなりがちで、アジア人の骨盤は欧米人に比べて小さいから、ちょっとしんどいだろうなって思ってた。女の子だと幾分マシなんだけどね。あはっ」

いや、言うとけよ。めっちゃ大事やん。あはっじゃねーよ。

このあと5日ほど入院し、退院したのち、これまた上記の過去記事の事態になるのだが、この時の私はまだ知らない。

もしも制止を振り切ってここまで読まれた妊婦さんや、妊娠を考えている方がいらっしゃったら、これだけは言いたい。私は、息子を産んだことを1ミリも後悔していない(あと少しで19年)

世の中に自分の命より大事なものが出来る不思議。

大変な事は山盛りだけど、それでもこの子に会えた事は人生で1番の幸運だったと思っている。





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