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悩みながら書くのをやめよう、と思います

100日連続note更新、を掲げ記事やつぶやきを毎日してきました。

しかし、10月11月とcakesが炎上しているのを見る度に、ここで書いていていいんだろうか、という悩みを抱えつつ今日まで続けてきたのです。

10月の時は、まだ更新を始めたばかりで一度くらいの失敗はあるだろうし、これから良い方向に変わってくれればいい、と思っていました。

そして11月。ホームレスの記事の話を聞いた時「またか」というのが正直な感想でした。過剰反応過ぎる、という意見も見て、それも否定できない自分がいました。編集者からのコメントはともかく、記事の内容だけ見れば世界の珍しい部族に芸能人が会いに行って、彼らの生活を記録に残していることとそこまで違いがあるのか? という疑問が自分の中に沸いたからです。

だから、今日までは100日更新を続けてきました。ただ、Twitterなどでの他の媒体での宣伝はしなくなりました。

それがずっと引っ掛かっていたのです。こんなの書いたよ、と胸を張って報告できないものを書いて、それが自分のプラスになるのだろうか、と。

しかし、「100日更新する」と言った手前、炎上騒ぎがあったからやめます、とも言いづらかったのです。毎日更新するのは、何だかんだと労力がいります。ダッシュボードの数字が気にならないと言えば嘘になりますし、毎日何を書こう、と考えて文字に起こすのだって日によっては重労働です。

炎上騒ぎにかこつけて、面倒な目標をやめようとしているだけじゃないのか。そんな自問自答を続けておりました。

そして今朝、3度目の炎上騒ぎを知りました。

連載がなくなったことはもちろんですが、何より許せなかったのは、血反吐を吐きそうな思いで丁寧に丁寧に綴られたであろう友人の死、というものをフィクションで済ませよう、と言った編集部の心無い言葉です。

自殺ではありませんでしたが、私も立て続けに親しい方を亡くした時期がありました。突然の出来事でしたし、棺桶で眠る見知ったまだまだ若い顔を見て、涙が止まりませんでした。そのことをノンフィクションで文字にするとなった時、一体どれほどの忍耐力と精神力が必要だったのか、ただ泣き崩れていた私には想像もできません。

それを1番近くで確認していたはずの人間がフィクションということにしよう、とは何たる無礼か。

私がここでどれだけ言葉を紡いでも、そして、勝手に始めた100日更新を勝手にやめようと、何も変わりはしないでしょう。

立ち上げから関わらせていただき、今後も寄稿したい、と思っているnoteを媒介にした文芸誌だってあります。仲間たちで少しずつ案を出しあい、少しでもいいものにしよう、と半年も続けてきました。しかし、このようなことがある度に、複雑な思いが募るばかりです。

文句を言う暇があるなら、他のプラットフォームを探した方が懸命なのでしょう。もっと違う公開方法を開拓していけばいいのでしょう。そういうわけで、これで私の更新も終わりにしようと思います。

今まで拙い日記を読んでいただき、
ありがとうございました。

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