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【診断まで】3.外の世界を広げるための挑戦

水遊びに挑戦

庭遊びが大分できるようになってきて、世界が広がってきた、と感じてきたので「次はそろそろ、水行こうかね」と。1歳になる前にもやっていた「ウッドデッキにたらいを出して、水遊び」を開始しました。いや、すごい勢いで水に入っていく姿は…ある意味豪快でした。外遊びの一環として靴のままたらいに入る。満面の笑みで。もう、水遊びパンツ、とか着替えさせている余裕なしです。ボールやらなんやらを色々とたらいの中に投げ込んだり。すごいなあ、パワフルだなあ。と思いながら毎日3回くらい着替えさせていたように思います。

そんな中、「共感・感動の指差し」はますます増え始めました。水に反射した光が、家の壁に当たってキラキラと揺らめく様子を見て目を丸くし、指をさしてじいっと見入っていた様子は、1年以上経った今でも、心に鮮やかです。

そんなときにお隣さんが顔を出してくださると、お隣さんにも教えてあげようと、一生懸命に指をさす様子に、この数ヶ月での変化に本当に驚かされるのでした。

青空子育てサークルへの挑戦

「人との関わり」に少しずつ興味を持ち出してきた息子の様子を見て、ずっと気になっていた「自然の中で遊ばせてみよう」と言う子育てサークルに参加してみよう、と思い立ちました。

折りもおり、緊急事態宣言が解除され、息子がずっとお世話になっていた子育て広場が「予約制4組まで」と言う制限付きで再開され始めました。そこで仲良くなったママ友さんがその子育てサークルに通い始めたと言う話を聞いていたので、ちょうど一緒になったタイミングで「一緒に行けると嬉しいなあ」と話を持ち出してみたところ、快諾してもらえました。実は1度だけ、トライしてみようとした経験があり。が、その頃はそれこそ発達相談に通い始めた頃で、人への興味が全くなかった、という時期でした。なので撃沈。

「自然豊かなこの地域で育てたい」その思いで、夫の地元での子育てをすることを決意し、中古だけれどもと庭のある家まで買っていました。宣言中は庭が大いに役割を果たし、息子の世界は、庭の中でグングンと広がりました。それならば、大自然に出てみようじゃないか!水が好きな特性なら、川遊びはきっと楽しい。そう信じて、暖かくなってきた時期に参加を決意したのです。参加の時に「自閉症スペクトラムの傾向があり、お友だちと交わるのが苦手です」と、はっきりと言葉にしました。名前を呼び掛けられても返事ができない。きちんとお話をすることができない。それによって「無視されている」と感じてしまうお子さんもいるかもしれないから。案外すんなり「うちもグレーなのよ〜」と言う方もいて、受け入れてもらえた、と感じていました。

その日は今までの「たらいのお水」と違い、「大きなお水」に恐る恐る、入ってみる…と言った様子。暖かい日だったので、水も冷たくなかったからか「案外、いいんじゃない?」とまるで温泉のように寛ぐ様子に、これならいけるんじゃないか。と思い、ちょっとほっとしました。

ただ、気にしていたのは「水が好きという特性」。

自閉っ子ちゃんあるあるの、もうこればかりはどうしようもない「本能」のような。お風呂が好き、たらいの水が好き、蛇口が好き、公園の水飲み場が好き。少しずつ現れてきていたこの特性に、どうやって塩梅を探っていくか。このサークルを通して、「水との触れ合い方」を息子自身も学んでくれたら、と思っていました。そして私自身も息子がどの程度「こだわり」として水が好きなのかを、知ることができるだろうとも。

最初のうちは、ただマイペースに水に触れる、水に浸かっている、それだけでしたが、それだけでも彼にとっては大きな刺激だったと思います。

「乗り物」を手がかりに「モノ」と「名前」を

遊び場の近くは大きな音をたてて電車が通ります。また、上空をたくさんの飛行機も通ります。色々な「音」がします。この頃から、息子は小さなそれらの音にも反応するので「聴覚過敏があるかな?」と思うことが増えていました。

ちょうどその頃好きだったのは、「じゃあじゃあビリビリ」の絵本。

これに「ふみきり カンカン カンカン」というページがあるのですが。私の実家から帰るときに踏切を通ります。その時に、この本のそのページを開きながら「ほら、◯ちゃん、踏切カンカン」だよ、と言って「見せながら」踏切を通ることを何度も繰り返していました。ある日。ちょうど踏切の遮断機が下りていて「カンカン」と鳴っていて、まさに踏切カンカンな状態。耳と、目と、両方からの刺激が、ちょうど入りやすい時期だったのでしょう。

そうか!!!

その顔が忘れられません。「これが踏切、カンカンなんだ!」と。彼の世界に「名前」がついた出来事でした。

そして「ひこうき ぶぃーんぶぃーん」「くるま ぶっぶー」と、彼の世界は少しずつ広がっていきました。遊びに行くと、水溜りに浸かりながら(笑)飛行機が通ると指を刺して教えてくれるようになり、車が通っていると「あー!」と指をさして喜んでくれるようになりました。「じゃあじゃあびりびり」はいつでも持ち歩いていたので、飛行機を指差した時には、飛行機のページを出すと「あ!」と大喜び。車も出すとニコニコと「これだよこれ、わかってるなあ」という顔をしてくれました。

ベビーくもんに行っていた…というのは以前書きましたが、そこでもらっていたカードに新幹線があり、お隣さんが、お孫さんが使っていたという小さな新幹線のダイキャストを下さった時、そのカードと新幹線が「同じ!」ということに気付いて、カードの上に新幹線を乗せて喜んだりしている姿もありました。

彼の中の世界が「手元50センチ」から確実に広がり、外の世界のいろいろなものに気持ちが向いていった、そんな時期だったのではないかと思っています。

出てき始めた感覚過敏・鈍麻、切り替えの難しさ

その一方で、外の世界が広がり体験することが増えるにつれ、少しずつ出てきていた感覚過敏/鈍麻もこの辺りから顕著になり始めました。

帽子のアゴひもがだめになった:その前の年まではあまり本人も気にしていなかったアゴ紐が突然ダメになりました。何をしてもだめ。仕方なく、あごひものないチューリップ帽を作りました。ただ頭に乗せるだけのタイプだと違和感があるのか脱いでしまうのですが、キュッとゴムが頭囲に入っていてフィットするタイプだと嫌がらず、むしろ喜んで被ってくれるので、替えも合わせて2つ作りました

足裏の感覚を欲しがるように:初回裸足で参加していた外遊びのサークルでしたが、ふと気づくと、わざと石を踏みしめるようにしていることに気づきました。これは?とちょっと気になって、当時週1回来て頂いていた児発勤務経験のあるシッターさんに相談すると、「足裏感覚の鈍麻があるのではないか」とのこと。実際に見ていても、ジャンプして刺激を入れようとする様子や、歩き方から、足裏感覚がしっかり掴めていないような様子が見られる。ということでした。足を踏みしめてのしっかりした歩行ではなく、確かに少しふわふわした感じの歩き方。これは怪我をしてはいけない、と急いで水遊び用のサンダルを買いました。

手のひら感覚がより過敏に:泥や砂などドロドロベタベタとしたりじゃりじゃりしたりするものが手につくことを忌避するように。河岸の水溜りに座り込んで、手を底につけると、泥が掬われてきてギョッとしたように振り払っていました。どうしたら良いのか分からなくて、固まったりしていたこともあります。お水の中で手を振ると落ちる、ということを何度も教えました。が、そこに頭が行く前に固まってしまうことの方がやはり多かったのは、それだけ嫌だった、ということなのだと思います。

場面転換の難しさ:水遊び前には、水遊び用に着替えをさせます。たったそれだけのことなのですが息子には、初めのうちは何をされているのか分からず、大騒ぎでした。今ほど言語理解もなく、絵などの視覚を使っての見通しを立たせるにも流れを理解することもできず、だったのでズボンを脱がされて水遊びパンツに履き替えさせられて、動きを「制限」されてしまい、どうなるのか分からないという恐怖があったのではないかと思います。「あそこに行くといつもそれをされる」という怖さもきっとあったと思います(あ、これって彼なりの「予想:見通し」ですね)。

また、遊びを中断してご飯を食べるということも、「延々と続く、終わりのない遊び」の中では彼にとっては難しく。お腹が空いたからご飯を食べる、という発想がない中でどうやってそれを誘導するのかもひと苦労でした。その度に、癇癪を起こされながら、抱えてつれてくる、ということを繰り返していました。ご飯が目の前に出ると、ハッとして食べ出すのですが。当時彼が遊んでいたようなおもちゃの場合には区切りがあります。が、自然の中では区切りは存在しません。延々と遊び続けられます。お腹が空けばご飯食べに来るよ、というのは「体感覚」と「行動」が結びついている場合。彼にはそこが結びついていなかったので、こちらが頃合いを図って誘導するしかないのです(こうした「定説」と「発達っ子ちゃん」の違いが、後に私を悩ませることになるのですが…)。

食具を使っていたのが使えなくなっていたり、おにぎりが食べられないこともあり(口腔内の発達が遅く、咀嚼が苦手です)、持って行かれるものが限られる中で、彼が安心して食べられるものを、とお弁当にしたりしました。分かってはいた。定型児さんのグループに飛び込めば自分も、見えない差を思い知ることは分かっていたけれども、それ以上に息子の「たくさんの体験」が私にとっては大切だった、と今でも思っています。




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