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【リアルタイム】支援機関連携の難しさ

それぞれの思いとテリトリーとTOR?

通っている療育専門の病院で、幸いにも息子を担当してくださるOT(作業療法士)の先生(T先生)は、私が「神!」と叫びたくなるほどの対応をしてくださる。OTでは、日常動作を含め様々な作業を通じて、苦手な動きをできるようにし、日常生活の自立を目指すもの、だと私は理解している。

そのT先生が保育園への巡回に入ってくださり、そこに息子の通っている児童発達支援機関(以下 児発)、子ども家庭支援センター(以下 子家セン)の息子の担当の方も立ち会われて、息子の発達について観察、共有、及びアドバイス、カンファレンスを行っていただき、リハの時にそのご報告等々。聴きながら思ったこと。

それは、シンプルに

「支援機関連携ってなんでこんなに難しいんだ」

神OTであるが故に、また私が普段息子の療育に対して熱意がある(と思う)ことをご存知であるが故にそこまで足を踏み込んでくださるからこそ前に進んだのだろうと思う…。

それまでのことを考えると、保育園と、児発との間の壁は分厚い。だから、そこの間を橋渡しする人が必要で、それを、今までずっと自分がやってきていたが、私は専門家じゃない。だからどちらにも「想い」だけでぶつかる、と言う「根性」だったので結構限界があった(涙)具体的に、何をどうしたら繋がるのかとか、どう言うところで繋がるといいのかとか、そう言うことを話せる「スーパバイザー」ではないので。

保育園は「保育」と「療育」は違うのだ、と言う思い込みがあり、児発は療育は特別なものではない、と言う想いがある。(因みに私は、息子の場合の療育は「特別なものではない」と考えている。それも、保育園との溝を感じる理由なのかもしれない。)役所は、「発達支援をする必要性はあるけれども、今の部署は今まで「障害」を扱う機関との距離が近くない」ので、できるかどうか躊躇している。また、連携をすることは「良いことである」との認識はあってもそれをすることで仕事が増える=TOR外のことをしなければいけないのではないか、と言うような危機感も感じる。そこをどう、当事者として入っていったら良いのだろうか。悩みは尽きない。

有り体に言うと、私だって、モンスターペアレンツ扱いはされたくないのだ。それに私だって、曲がりなりにも保育士だったので、現場で息子だけのことを考えているわけにいかない、と言うことはよく分かる。けれど。だけど。それでも。と言う思いは、拭えない。

支援会議を!から始まった連携への道

4月に保育園に入園した息子。話せない息子から園の様子を聞くことはできない。連絡帳だけが園生活を知る唯一の手がかり。なのだが、「今日も楽しく滑り台をしました」的なことが毎日続く。一方で週1回のクラスの様子、というお便りには、さまざまな活動が出ている。息子はひとりで過ごしているのか?と不安になる程、お便りと連絡帳の息子の姿はかけ離れていた。

一方で3月から、少しずつ始めたABA(Applied Behavior Analysis:応用行動分析)の効果が少しずつ出始め、座って何かをすることに興味を持ち始めた息子。マッチングで「一緒にして」というコマンドだったのもあって「お勉強=いっしょ」と覚え「いすぉ、すぅ(一緒、する)」と言ってやりたがるようにもなった。

5月からは、児童発達支援センターにも通うようになり、最年少ながら、少しずつスケジュールの視覚支援などにも慣れていくようになった。

そんな中で、「障害児支援計画」(発達支援などの障害児向け福祉サービスを利用する際に必要なもの)と、児童発達支援センターのIEP(個人支援計画)、保育園から毎月出てくる月案(月毎の個人保育計画)、病院の作業療法(OT)、心理リハが向いている方向が、違う気がしてきていた。

夫婦共福祉系の仕事をしてきたため、「ケース会議」というものが存在することを知っていた私は、息子にもそれが適用できないか。と感じ始めていた。息子に関わってくださる機関が一堂に会し、息子の姿を共有していただく。その機関で過ごしていない間の息子のことも知り「息子の姿」の共通認識を持っていただき、息子の育ちを知っていただく。そして、できることできないことを含めて、共通の目標を持って、ベクトルを同じにしていく。

これが、私の考える「支援」の姿だった。

誰に話したらいいんだろう?そう思った時に、病院で見つけた巡回支援のポスターに、担当ソーシャルワーカーさんに相談に行った。その時に「こう言うサービスがありますよ」と紹介されて、その用紙を受け取った(それが後々、面倒なことになるとは思わなかった)。が、いや、病院と保育園だけが繋がるんじゃなくて(涙)と半分くらいスルーになってしまって、帰宅後、子ども家庭支援センターへ電話をかけた。


「支援会議を、行って欲しい」

そう、お願いした。

子家センの動きは早く、その数週間後、全ての機関と予定調整を行っていただき、支援会議が実現した(が、なぜか当事者の私はいなかった(汗) 本当を言えば、入りたかった)。

「誰が、何をするの?何を話したの?」

支援会議は、開催された。だが、問題はその内容が当事者である親に共有されなかったことだった。一番多く接する保育園からは「ああ、みんな和やかに顔合わせできましたよ」と言うような返答しか返ってこなかったし、あちこちの出席した方々からも断片的にしか話が入ってこない。せっかく病院も、児発も、保育園も、市の機関も集まったのに、何も決まらなかった、なんてことはあるまい。方向性くらい決まったよね?と、もやもやしたまま。

病院にOTや心理リハで行くと、内容をちょこちょこ教えてもらえた。児発でやってくれている相談支援でも「こう言う話になってます」と言う内容だった。その度に、もっと早く聴きたかった…が増える。さらに、肝心の「いつ、誰が、何をするのか」は全く見えず。「T先生が保育園に巡回支援に行きます」と言う話も「9月ごろには」と言われていたので、「そうか〜」と、楽しみにしていただけだった、8月のある日のこと。

「お母さん、巡回支援のための書類って、出されましたか?」

唐突に、T先生から声をかけられた。当然ながら、寝耳に水。先生も慌てるし、私はなんのことやらだし、「巡回支援は、お母さんと保育園が書類を出していただくことで、調整が始まります」とのことで…。その巡回支援を行うことは、支援会議で決まっていて、T先生はずっと、その手続きが始まるのを待っていらしたのだとか。

「まぢかい。だったら、誰か、それを私に知らせてくれ。でないと、そんな書類があって、私が出さなきゃいかんことを私は知らないままじゃないか。」

と心の中で絶叫し、慌てて帰りにソーシャルワーカーさんのところへ寄った。「ああ、以前差し上げたあの書類のことです」「!!!いや、それとこれが同じものだって、知らないし!」新しく頂戴し、急いで書いて、翌日保育園へ提出する。と言う事態となった。

多分「書類はお母さんにお渡ししたので」と言う話がされているか何かしたのだろうけれども、それでも、私もその内容まできちんとその時知っているわけでもないし、会議で話された内容も断片的にしか入ってきていない。その状態で、自分のアクションは把握できるはずもなく。

みんな「誰かがやってくれる」になっているのか、それとも「自分は何をしたらいいのか分からない」なのか。待ちの姿勢になってしまっているのだ。当事者として、会議に出なかった人間には、もし、取るべきアクションがあったのだとしても、それでは知る由がない。と言うのが本音だ。

その後、コロナの影響もあり、書類の提出が遅れたりなどあったものの、巡回支援の日にちが調整された。

そこでも一悶着あり。日にちが調整され、決定したことを私が知ったのは、保育園からではなく、病院に定期診察に行った日、提出から時間が経っていたので、「そろそろ決まるかなあ」とソーシャルワーカーさんに聞きに行ったから、だったのだ。

「ああ。はいはい、◯日でしたね〜」

とスケジュールを確認する担当SWさんに

「え?決まったんですか?」

と、こちらがびっくりすると

「え、保育園から聞いてませんか?書類を提出いただいた翌日には、園にお電話して調整して、決まってますよ?」

…私は二の句が継げなかった。しかもその日は、週1回の児発の日だった。3歳になり、ST(Speach Therapy:言語セラピー)の先生が半年に1度来られるので、発達相談もできる、と言うことも兼ねて、その日程の調整も始まっていた。

重要なのは、「園が悪い」とか言いたいわけじゃない。私を間に入れてやりとりしてくれ、と言っているわけでもない。

関係者間でやりとりをしていただくのは、私も助かるし、その方が伝言ゲームにならなくていい。けれど、知らせてほしいのだ。

「誰が、決まったことを伝えるのか」

その決定事項は、息子に直に影響を与える。そしてそれは、私たち親も同じことだ。…基本、毎日接する保育園から聞くのが1番早いし、園との距離が1番近くあるべきだと、私は思っているのだが。正直、そこはとてもがっかりしたところでもあった。園とは、心の距離が1番近いところでありたい、そう思うのだが。

やっと実現した巡回支援から、その先へ向かって

そんなこんなな紆余曲折を経て、やっと巡回支援が実現し、T先生がクラスに入って1時間行動観察をし、後半1時間で支援会議で集まってくださった児発と市の担当の方が集まり、カンファレンス(観察結果の共有と討議)が行われた。(因みにその様子も、保育園からはほとんど聞いてない…おっとぉ)

その後、カンファに入ってくださった児発の先生(実際には、相談支援員を兼ねてくださっている)からお電話を頂戴し、「児発では見られない息子君の姿を知りました。今回こうして参加させてもらって新たな息子君の様子が知れて、とても良かった。」と言う話をしていただき、飛び上がりたいほど嬉しかった。

OTの日に、T先生から観察とカンファのご報告をいただいた、と言うのは最初に書いた通りで、どうしたら「仕事が増える」と言う印象を払拭できるのか、と言うことを真剣に考えていただいた結果、全部の機関共通のIEPフォーマットを作ってみよう、と。なんと、全くの専門外である「保育所保育指針」を参考に作っていただいたのだ。その場で説明を受け「お母さん、これを、保育園、児発、子家センと渡して、説明をお願いします。僕が次回行くまでに、これを使って、観察記録が取れたら共有できます」と熱い気持ちを渡された。

それをコピーして、私も、各機関に説明をして回った。

新しく仕事が増える、と言うことではなく、今持っている計画から抽出し「ピンポイントで」ひとつひとつ見ていく、そして次に進む、という、より小さなステップを踏んでいくためのツールであることを説明しながら。なんとなく「できたね」ではなく、「確認」のためのツールである。と分かってもらうために。

幸い、各機関の先生方は、最初こそちょっと警戒するような風情があるところもあったが、「今あるものから抽出する」と言うところで納得し、これを他の機関とも連携することで、と言うことに意義を見出し、作成に協力的な姿勢を見せてくださった。「これでいいのだろうか」と試行錯誤しながら書いてくださったということが、私にもよくわかるほどだった。

有り難かった。

OTの時に、各機関からのIEPを持っていくと、T先生はのけぞって驚かれた。カンファの時のことから、どうなることか…と心配されていたようなので。「これで本当に連携のスタートに立てる」と言うようなことをおっしゃった。

「あとは、今後誰が旗を振るか、ですよね…」

そう。その問題が残っている。1番厄介なやつだ。病院が仕切りをするまでのことはできない。TOR外、と言うより現実問題、大きなところほど抱える患者数は多く割ける時間がない。今回のIEPのたたき台も実際には役割以上のことをしていただいている。T先生が来ないと話が進まない、では連携は進んでいかないし、4ヶ月以上間が開くことになる。今の息子の4ヶ月は、とても早い。

そこを誰が入るのか。どんな仕切りが必要なのか。まだまだ、模索と葛藤は、続く。

けれども息子はこの地域で大きくなっていく。たくさんの人に関わりながら。今後就学し、成長していくために、彼自身が相談する場所があり、親以外に頼れる大人がいること。そして、息子の育ちを同じ方向で一緒に見守ってくださる方を増やすために。諦めずに、この問題に立ち向かっていく。


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