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「発達の気になるお子さんの理解と具体的支援について」講演会へ

講演会に行ってみた。

きっかけは、児発に貼ってあったポスター。
「お。面白そうな表題。」と言うのが最初の印象だったのだけれども、帰宅して調べてみながら

あれ?これ、うちの神OT と肩書きがにていないか??

と。余計に気になって、参加を決意。
普段は自分の軸をフリーオペラントABAに置いていることもあり、頭でっかちな自分がぶれることを怖がって他の関連の講演には尻込みすることもあるのですが。さすが神OTの力はこんなところにも。神OT、偉大(笑)

「障害を理解すること と 障害のあるあの子を理解することの違い」

酒井康年先生

講演者の酒井先生は「うめだ あけぼの学園」の副園長をされておられる。「社会福祉法人からしだね」という名前を聞いて「おお、からしだねの例えか」と心の中で「ミッション系だ♪」と密かに喜んでしまった。後で調べてみると、やっぱりイエズス会系の施設だった(あ。私は実はカトリックなのです)。

酒井先生ご自身は、特別支援教育の教員をされた後、OT(作業療法士)の資格を取られ、上学園に就職、現職でいらっしゃるとの経歴のご紹介があった。ちょっと調べていくと「感覚統合」の言葉もちらほら。やっぱり神OTと繋がりが絶対あるに違いない。と思いながら。

「あの子を理解すること」

すべての基本をそこに置いているのが本当によくわかる講演だった。専門の言葉を使ってそれを解説する、と言う形であればきっと簡単だったかもしれないが、とにかくそれではなく、本当に大事なのは

「障害を理解する」「障害のあるあの子を理解する」

その違いをまずは本当に、身にしみて理解することの重要性をとにかくこちらが識ることがまず基本にある2時間だったと言っていい。

私も「自閉スペクトラム症」を理解するために、「ABA(応用行動分析)」を理解するために、たくさんの書籍(と言えるほどではないかもしれないが)、専門書を漁った。けれども「目の前にいるたった1人の息子」の毎日をどれだけ「理解」しているだろうか。それを、改めて振り返る時間でもあった。

息子の「特性」を識っているからこそ「息子に分かりやすい」メッセージの「出し方」を試行錯誤することもできるし、自分の行動も意識も変えることができる。全ては「自閉症とはこう言うものだからこの子もこう言う特性があるのだ」ではなく「自閉症の特性とはこう言うもの。で、その自閉症を持っている息子自身はこう言う特性がある」と言うそこをこちらが「知ろうとするかどうか」に全てかかっていると言える。

知識や、理論はもちろん「必要ない」わけではないし、寧ろ着眼点を与えてくれる。理解を容易にしてくれることもたくさんあることは、児発の報告や面談、神OTとの療育中の会話や、病院リハの最中のプロンプト(手助け)の仕方、地域支援カンファレンスの最中に与えていただける「気づき」で嫌と言うほど知っている。けれども、それは「この子」がどういう子か、と言う観察が1番大事という基本に基づくからこそなのだ。

「特性」とはなんだ

実に分かりやすい実例を、たくさん挙げつつ、先生は説明されて行った。

この書籍からいくつかの質問を出される。
「人に場所を説明するのに、地図を描く人、近くまで来てもらってそこから見えるものをもとに説明する人、事前にメール(言葉)で説明する人」や、「初めてみた人の顔を憶えられるか」などといったもの。人はそれぞれ自分がベストだと思う方法を持っているがそれが「自分の特性」における「ベスト」なのであって、他の人にとってはそれは「甚だ迷惑」でしかない場合も存在する、と言うことを明らかにされて「なるほど」と唸るしかなかった。

「特性」と言ってしまうと、「発達界隈」にいる私なんかはどうしても「障害」と結びつけて考えてしまうが、「誰だって何かしら考えに傾向があるのだ」と言うことを「認知特性」と言う言葉で説明していかれた。

実際にこの本を読んでみると、「視覚優位」「言語優位」「聴覚優位」と言うこの界隈にいれば聞き覚えのある「用語」が並んでいるが、講演で酒井先生は「まったく」この手の言葉を使われなかった。なぜなら「理解してほしいのはそこではない」からなのだ、と言うことが分かる。

先生が強調したいのは「誰しも何かしら考えたり捉えたりするのに得意な傾向があり、やりとりにもその傾向が現れる」と言うことと、「相手のそれを知った上でコミュニケーションを取ることで、すれ違い(ミスマッチ、と言う言葉で表現されていた)は格段に少なくなる」と言うことだ。と私は理解している。

コミュニケーションの「ミスマッチ」から「マッチ」へ

「行動」を生み出すもの

ABAの理論を軸にして考えている私は「行動」と言われるとどうしても「先行刺激」(Antecedent Stimulation)と言うワードが頭に浮かんでしまう。が、その「先行刺激」をさらに細かく「環境、指示、サポート」があってこその行動だと言う分析は、なるほど、と唸るものがあった。そうだよね。当たり前のように考えていたけれども、きちんと言語化するとそうだよね。

コミュニケーション、として考えてみた時に「伝えたい側」と「受け取る側」が齟齬がなく受け取れた時に「概念」としての前提が出来上がる。が、それを受け取った側が「やるためのモチベーション」があって始動し、周りにその完遂を妨げるものがない環境が整って初めて、行動が完結する。1つの行動自体に多くの要因が存在する。

そこまで考えて行動を形作っていただろうか。

この講演の最中、何度も息子の朝の支度や、帰宅してからのこと、こちらの言葉かけを思い出さされていた。頭の痛い話だ。

「肯定する」「褒める」「承認する」と言う言葉たち

先生の講演の最中には「肯定的な言葉を使う」「肯定的注目をする」「褒めて伸ばす」「承認する」と言ういわゆるポジティブな言葉がたくさん出てきた。

それは、講演後の質疑応答の際に出てきたが「二次障害」「三次障害」を防ぐ、と言うことが念頭にあるのだろうと、私自身は理解している。そしてそれ以上に「支援者(保護者・保育者を含む)」がどうしても「できない」に着目しがちな意識の方向を「ちょっと理解することで」避けることができる、と言うことを前向きな言葉で伝えたい。そしてそれによって、子どもだけでなく、支援者がわもグッと楽になる、と言うことをどうにかして知ってほしい。と言う先生の想いもあるように思われた。

実際、発達障害の子どもたちの「二次障害」と言うのは、多くが「できない」と言う体験を重ねることによって生じる、環境要因であることが多いと聞いている。

実際に、息子も睡眠障害から、抑うつ気味だったのでは、と言うところまで発展し、そこから不安障害のような症状も見られていた。親もきつかったが、本人は日々自分の思うように体も気持ちも動かず相当辛かったに違いない。

それをたまたま「眠れない→身体が怠い→気持ちが沈む」と言うところに気がつけて、メラトニンを補充しよう!と動けたからこそそれ以上に進まなかったが、気持ちが沈んでいることにだけ目がいっていたら、きっと息子は今こんな笑顔をしていないのではないかと思う。

「困りごと」を理解し、関わり方を捉え直すことで、お互いに対する「理解」を「ミスマッチ」から「マッチ」するように変えていこう。と言うことなのだと、言葉にして具体的に表現されることで腑に落ちた。

「変われる方が変革しよう」

この講演の最中に何度か先生が言われたのが「大人の方が変えるのは楽なのですから」「自分達の方が、変えられるのですから」と言う言葉だった。と同時に「意識して変えていく」と言う言葉も何度も聞かれた。それほどやはり「気持ちを改めて持つこと」は大事なのだと意識させられる。

「褒めること」「承認すること」「肯定的注目をすること」
これだけ聞くと、根性のように自分の「意識」を変革するのか、と言う感じになるのだが、酒井先生のおっしゃっているのはそこではなかった。

・その子がなんでそうするのかをじっくり観察していますか?
→支援者側にとっての困りごとがある時、それが「常時」かどうか、確かですか?確かなら医学的介入が必要かもしれない。していない「瞬間」があるなら、その状況を分析していますか?
・その子のことを知った上で「伝わる」ように伝え、「できる環境」を整えていますか?失敗体験を積み重ねさせていないですか?
→教室の前にくるのにいきなり後ろから前まで歩かせていないか?最後の50センチからスタートすれば絶対成功するよね。

と言う「その子の問題」そのものではなく、「問題を取り巻く環境」を見直して調整することをこちらに提案するものだった。

その「意識を変えていく」も根性論ではなく、着目すべきポイントを具体的に専門的な視点から挙げてくださるので、納得もできるし、できるかもしれないと勇気づけられもした。

知ることで意識を変革するーリフレーミング(Re-Flame)

これに尽きる、といってしまうとあんまりなのだが。

「なんで分からないんだ」と相手に怒るのではなく
「何がミスマッチを起こしているのか」と言う視点に立つ。

犯人探し、悪者探しをしない、と言う言葉は心に残っている。夫婦のコミュニケーションでも多々あることだし日頃普通に人とコミュニケーションをとっていてもあることだ。

目の前の事実も状況も変わらない。けれども見方を変えることで新たな気づきは必ずある。捉え方が変われば課題も変わる。

改めてきちんと自分の目の前にいる息子を「知る」ことを心に決めた(はず)。

できる!をデザインする

成功体験を積み重ねることー機軸的な広がりを生み出す

「できた!」と言う体験を積み重ねるための環境条件を整える。大人にできるのは条件を揃えること。

実際に行うのは子ども自身

この言葉の重みよ…。
これぞ子ども自身が自信をつけるために必要なこと。

「失敗は成功の母にならない(なるくらいなら、本人もみんなもこんなに困らない)」(酒井氏発表資料引用)
まさにこれ!

最初はフルプロンプトでもいい。どんなに支援をしてでも成功させる。それが好循環を生み出す。これこそが「やってみよう」と言うやる気を生み出し、更なる広がりを生み出し、「自発的に」外へと向かう意欲となる。Pivotal Response の要となる。その大切さは身に染みている。

支援のスタートは「できること」から

「できない」エピソードは山ほど集まるけれども、それは何のヒントにもならない。その言葉は、とても重かった。

大事なことは、その子の「今」を見つめて
今、伸ばすべきところは何か
今、調整すべき環境は何か
今、優先すべき課題は何か
を見極めて、本人の「できる」ことを増やし、「できたこと」を積み重ね、支援する側の人間がその「好循環」を見守り、共にすること。

なのだと、「できる」と言うことからなのだという、何度も繰り返されるその言葉と3回も差し込まれている同じスライドに教えられた。

まとめると

「知ること」によって変わることが容易なのは私たちの側だ。知ることができれば捉え方も変わる。捉え方が変われば「問題」が「疑問」に変わるかもしれない。

だからこそ「障害を理解すること と 障害のあるあの子を理解すること」の違い、「認知特性の違いによるコミュニケーションのミスマッチ」「コミュニケーションのミスマッチは、誤解であって「間違い」ではない。調整できるもの」と言う丁寧な説明があったのだ。

と思う。そして、大事な専門的なことをこんなに「実例」で分かりやすく、誰にでも「齟齬がないように」伝えてくださる酒井先生の凄さ。さすが専門家は違う。

そういえば最近、息子にフルプロンプトででも成功体験を積み重ねさせてきただろうか。プロンプトを少し抜いてみたりしていなかったか?できそうだからやらせてみようとか、していなかったか?振り返ると反省ばかりが浮かんでくる。じゃあそこで「間違い探し」をするのではなく、寧ろ私自身が「私はそう言う傾向がある」と知ることで、次には「フルプロンプトでもいいのだという意識を持とう」と、自分自身の環境を整える方向に、持っていくようにしたいものだ。

状況は変わらない。
事実も変わらない。
目の前にいる息子が、私がこの講演を受けたから明日から変わるわけでもない。

けれど、目の前にいる息子をもっと知ろうとしたい。

改めて、そう思いながら一緒に参加したママ友さんと、会場で手を振った。



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