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モラ録。20〜発熱の乱④end〜


手紙を渡してから約1ヶ月が経ったある冬の日、
せん太が熱を出しました。

ただ、とても元気があり、
その日は私もせん太も休みでだったので、
市販の薬を飲ませて暫く様子を
見る事にしました。

仕事へ行っているモラ夫へは
昼頃にメールでせん太の熱の事を伝えました。

すると夕方、
モラ夫から不機嫌な声で
電話がかかってきました。


モラ夫「帰ったら病院連れて行くから準備して」


恐らく、仕事終わりにすぐ電話をしてきたのだと思います。
モラ夫の職場からモラ実家までは
バイクで15分ほどでした。


私(帰ってくるまでに準備が終わっていないと怒られる!)
私は焦ってせん太が病院へ行くための支度をしました。


予想通り15分ほどで帰ってきたモラ夫は
私からせん太の診察券などを受け取りましたが、その際、私が話しかけた事は全て無視されました。
そしてせん太に「病院行こうな」と優しく話しかけ、2人で近くの病院へ出かけて行きました。


私の話は何も聞いてもらえなかったので、
今の病状や熱の高さなどを伝える事も全く出来ず、私は仕方なくメールで

「今は微熱程度まで下がっています」

と伝えました。

私は(帰ってきたらきっと怒られるんだろうな…)
と恐怖と諦めの気持ちで憂鬱でした。


案の定、病院から帰ってきたモラ夫から不機嫌に

「何で病院連れて行かなかったの?」

と言われました。


私は〝恐怖〟と〝私が何を言っても全て言い訳ととられ、どうせ無駄だ〟という思いから何も答える事が出来ず、モラ夫の方を向いていた視線を
黙って外しました。

それを〝無視〟ととらえたモラ夫は激昂し、
大声で暴言や文句を怒鳴り始めました。


自分が無視するのは当たり前。
けれど自分を無視するのは許さない。
それがモラ夫でした。


モラ夫の声に恐怖したせん太は布団の中に潜って隠れました。

その姿を目の前で見ても、モラ夫は暴言をやめませんでした。


私は

「怖くて何も言えないんだよ!」

と泣き叫びました。

するとモラ夫は

「怖いって便利だよな!!」



「コイツ(妻)はほんっとダメなんだよ!!!」


と鬼の形相で私と義母に対して言い放ち、

そばにあった椅子を殴り倒しました。




私は〝怖い〟という自分の感情すら
否定されるのか…?



私が5年間〝辛い〟と思ってきた事が全て嘘だと
いうのか…?




…便利………だと…?




ふざけんな!!!!!# ゚Д゚)·;’. ゴルァ!!!



私の心のコップの水が一気に溢れ出しました。



私「それモラハラだよ。
物に当たったりしないで!」


モラ夫「お前にはやってないだろ!
お前がそうさせてるんだ!!出て行け!!!」

モラ夫は私の肩を押してきました。

私はその場から動かず、モラ夫を睨みました。


動かない私に痺れを切らしたモラ夫は、
今度は義母に対して病院へ連れて行かなかった事をキレ出しました。

モラ夫「お前も一緒にいたのに何やってたんだ!!」


義母「ごめんなさい、私が連れて行けば良かったね、ごめんなさい」

義母はひたすら謝っていました。


私「お義母さんは悪くない!私が決めたの」


するとモラ夫は私に対し、

「お前は(謝らないのか)!!?」

と怒りを爆発させ、謝罪を要求してきました。


謝る必要など絶対に無いと思った私は謝りませんでした。


そして皮肉を込めて言いました。

私「(子供に熱があったってモラハウスに)
どうせ帰るんでしょ(⌒_⌒)」


これを聞いたモラ夫は、モラ実家の2階に泊まり、
モラハウスへは帰りませんでした(笑)
帰らないからといって、せん太の世話をするわけではもちろんありませんでしたが(^_^;)


私は次の日、モラ夫が仕事へ行った後で
DV相談窓口へ電話をかけました。

そしてこれまでのモラ夫からのDVについて話を聞いてもらいました。
そして専門の相談員の方と直接会って話すのが
良いと判断され、面談中に保育もしてもらえる
近隣の施設を紹介していただきました。

私の実状や環境を考えてくださり、
最適だと思える場所を紹介してもらい、
とても助かりました。


これまでも何度か電話をかけようかと
迷った事はありましたが、

こんな事でかけていいのだろうか、とか
DVを受けている自分を認めたくない、など

様々な思いがあり、
かける事が出来ませんでした。

でも、この時電話をかけて本当に良かったと
今でも思います。

親や友達、同僚には言い辛い話でも、
顔も名前も知らない方にはすんなりと話す事が
出来ました。

そして否定されずに話を聞いてもらえる事がこんなにも嬉しい事だったんだと思い出す事が出来ました。




そしてその次の日、
モラ夫からメールが来ました。

「一昨日の件はまたあらためてあやまります。
ごめんなさい。」


私は何も感じませんでした。


メールはスルーしました。
そして暫く食事は一緒にしたくない旨だけを
伝えました。

メールのスルーも、
不快だからと食事を別々にされるのも、
全て私がモラ夫にされてきた事なので、
同じ行為をする事に抵抗はありませんでしたが、
相手を傷つけているという罪悪感はあり、
これを長く続けるのは自分には難しいと
感じました。

それを5年間続けてきたモラ夫…驚愕です( ;´Д`)



それからはモラ夫が別人かと思うくらい
優しくなり、挨拶もメールも直接の受け答えも
全て私に対して配慮あるものになりました。

今までは帰宅した際に玄関までの出迎えなんて
一度もされた事が無かったのに、
モラ夫が先に帰宅した日は私を玄関まで出迎え、
「お疲れ様、寒かったね、大丈夫だった?」
と声をかけてくれるようになりました。



そうなってくれる事をずっとずっと
望んでいたはずなのに…

優しいモラ夫が好きだったはずなのに…

会話が出来て嬉しいはずなのに…


私は気持ちが悪くて仕方がありませんでした。



そして数日後、私が夜眠ろうとすると、
モラ夫から

「話があるんだけど、今日大丈夫かな?」

と聞かれました。


こちらから相談したいと言った時は
3ヶ月以上待たされたのに、よく〝今日〟だなんて言えるな…と思いました。



私は

「わかった」

と答えました。






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