レインツリーの国再読

有川浩さんの『レインツリーの国』。
きっかけは、学生時代に読んで心に残ったファンタジー小説。
社会人になった伸行にとって、その小説の結末は心のトゲだった。
自分と同じようにその結末が腑に落ちなかった人はいないのかと、ネットで検索してたどり着いたサイトが「レインツリーの国」。
管理人の「ひとみ」が綴った本のレビューに触発され、伸行はレビューを読んで抱いた感想を一か八かでひとみに送ってみる。
本の感想を通して、ひとみとのやりとりが始まり、ひとみとのメールは伸行にとっての楽しみになっていった。
顔も本名も知らないけれども、ひとみと伸行はメールを通したやりとりで心を通わせていた。次第に伸行はひとみと会って話してみたいという気持ちが抑えられなくなり、遂に2人は実際に会うことになる。
しかしひとみには、健常者の伸行には完全に理解してもらえない「聴覚障害」のコンプレックスがあった。
「どうせわかってもらえない。」
レインツリーの国の中では、聴覚障害のハンディキャップを気にすることなく、理知的で素敵な言葉を綴るひとみだが、実際に会って話すとなると、伸行とのやりとりがどこか噛み合わず、気難しい女性になってしまう。
伸行は、彼女のことを理解しようとするも、どこかずれたフォローをしてしまう。
気遣いのズレが小さなささくれをつくり、いよいよ我慢できなくなる。
そして伸行は、彼女には絶対に理解できない、「伸行が抱える悲しみ」をぶつけてしまう。
ひとみは、健常者の伸行も、聴覚障害をもつひとみも、どちらもお互いに理解できない種類の違う悲しみを持っていることを知る。
伸行とのやり取りの中で、ひとみは少しずつ障害の僻みから解放され、ありのままの自分を受け入れていく。

そんなお話です。

有川浩さんのお話は高校時代大好きで、特に『図書館戦争』や『植物図鑑』などの、甘い恋愛に憧れて何度も読み返していました。
一方、『レインツリーの国』は、主人公とヒロインのすれ違いや心のささくれ描写が多かったために、子ども心には響かず1度読んだきりになっていました。
ふと読み返したくなったのは、私にも会ったことがなくても、心を開くことができる人に出会うことができたからだと思います。
改めて読み返してみると、本当に素敵なお話でした。
誰しもが、誰にも共感できない悩みや悲しみを持ち合わせている。
その悲しみを共感することはできなくても、共有することはできる。
相手の心に真摯に向き合う姿勢って綺麗だなって、初めて読んだ当時は抱かなかった感想だったので折角だから記しておこうと思いました。

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