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ファッション最先端の人と服に無頓着な人、中身はそっくり?!

衣服にかかるお金、服の収納の問題に悩む人。

「服なんか、疎いし着られればいいんで〜、どうでもいいし、めんどくさいし。自分はそういうの関係ないんで〜」

そんな人と、

「ファッションには敏感で、いつもカタログとかチェックしているし、遅れたの着るなんてダサくて我慢できないです!」という人。

真逆のようで、開けてみれば、どちらもそっくりだと思ったことがある。

服に無頓着だと言う人は、いつもと違う服、ちょっとでも目立つ服を着ると、人から注目されるのではないか、「服のことなんか気にしてる」と見られるという恐怖から、いつも同じ服しか着られない人だった。

流行最先端だと思っている人は、そうじゃなければ「下」に見られる、ダサくてバカにされる恐怖から、ファッション最先端を追いつづけなければならない。

どちらも、「自分の好きな服」を持っていない。というか、「自分が」好きな服という発想がまずないという共通点がある。
どちらも、実は自分という存在を消すことに必死だった。

両者とも、そういう理由で、服はいっぱい持っているのに、実際に着ている服は、そのごくわずかだった。

無頓着だと言っていた人は、「着れればいい」とは裏腹に、「これは赤が入ってるんで」「真っ黒なんで」「縞なんて目立つ」など、家に服は多くあっても、なんだかんだと着ていない服だらけで、「着ていないのに捨てるのも、、」と溢れかえっている状態だった。

ファッション最先端の人は、次々と新しく出る服を買わなければならないので、ちょっと着ては、すぐ着なくなる。「でもお金苦しい中を買ったのに、捨てるのも、、それに、お金苦しいから、バーゲンって聞くと、買わなきゃ損!って思うし」と、整理しきれない服がパンパンな状態だった。

そして、対人関係でも、まさにそれが反映されていた。

主体性がない。自分が他、外からどう見られるか。とにかくそれが気になって仕方ない。

人間は社会的な生き物だから、それが気になるのは当たり前だけど、ただただ、人からどう見られるかばかり気にしているのは、誰も禁止してないことを自分で勝手に禁止して、自分から振り回されに行って、苦しくなるばかり。。

相手の立場に立って考えるのと、自分がどう見られるかを気にするのは、逆のこと。それは「客観性」ではなく、実は自分のことしか考えていない。

服装に無頓着だという人は、はじめから白旗を上げることで、流行に乗っているという人は、勝ち続けることで、自分を必死に守っている心理があった。

「自分は、どんな服が心地良く感じるのか、好きなのか」
両者とも、これを大事にしていくと、勝ち負けとは違う、服と自分を好きになれるようになっていくことだと思った。

こういうところを変えていかなければ、衣服費と収納の問題の根の部分は、改善されない。

衣服は、自分と社会との接点。

「外へ出るのが怖い、億劫。。でも、外へ出たほうがいいのだけど…」

引きこもりがちな時、「しなければ、しなければ」と精神論で格闘するより、衣服の整理から、改善していける場合もある。衣服の整理をすると、外へ出てみようという意欲に自然になっていく。

このシーズンに着られる外出着やアクセサリー、鞄などを、自分はどれだけ持っているのか目を通して、一目でわかるようにまとめて並べる。

その中に、くしゃくしゃになっているものや、ボタンの取れたものが見つかったら、手入れ、簡単な修繕をして、着れる状態にする。

このような作業で、自然に「外へ出てみよう」という意欲が出て、即効性がある場合もあるし、すぐには効果がなくても、少しずつ続ければ、だんだん効果が表れることが多い。

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