「子離れしなければ」と思ったことはない
私は、早く子どもを離さなければ、と思ったことはないし、自分が早く子離れしなければ、と思ったこともない。
まだおっぱい飲んでるの?まだおむつ取れないの?まだ抱っこ?まだ?・・・まだ?・・・・
そんなもの、嫌でもしなくなるのに。。
あの子はもう一人で歩いてる、あの子はもう字が書ける、あの子はもう‥
全くくだらない。ちょっと早いから何だってのか。
そんなことに囚われるヒマあったら、今この時しかない子供の可愛さを、少しでもたくさん見つめていたいと思ったし、そんなことを自らストレス作って、エネルギー使って子供にもストレスかけてたら、本当に親がついてあげなければならないこと、しっかり教えてあげなければならない大切な時機を逃す、取り返しのつかないことになると思った。
私は、子どもが求めるままに、ずっとそばについていられた。「一日中、小さな子どもとずっと一緒にいるとストレスで‥」ということはなかった。
そんな私のことを、過保護だとか、子供のことを「いつまでもそんなんじゃ」と非難する声もあったけど、いつまでもなわけないだろうが!
上の子は高一15歳から、寮のある学校に入ったので、それから同居してない。
あの子供ベッタリの過保護が?!みたいに驚いた人もいたようだけど、私は全く逆だと思う。
「えっ!ショックでしょう?寂しいでしょう?」とよく言われたけど、私は全然そう思わなかった。自分でもびっくりした。
あの学校に行きたいと子どもが言った時、驚きはしたけど、「ほー!大きくなったな〜✨」と頼もしく、成長が嬉しかった👏
小さな子どもがいるせいで、あれができない、これもできない。
そういうことはある。
子供のことによらず、いつだって制約はある。
今できない事を怒りストレスにし、自分は不幸だと嘆くだけより、今できることに目を向ける。
そして、子供が小さいからできないことは、大きくなったらやりたいこととして、未来の楽しみとしてメモをすれば、それは未来の自分への贈り物になる。
書かなければ、プレゼントになることなく確実に消失する。
まあ、初めのうちは、その書いたもんをよく無くすけどね。。
こうしていれば、今しかできない大切な事を逃さず、未来が楽しみになる。
今の私は、そうやって過去のメモのおかげで、贈り物を叶えながら、毎日ゆったりぎっしり過ごせている。
105歳の天寿を全うされた、日野原重明先生の、「お母さんは、子どもが小さいうちは、うーんとそばにいて、うーんと可愛がって下さい。そうやって、うーんと自分に引きつけると、弓矢の矢は、ぐーんと伸び伸び遠くまで飛ぶでしょう?早く離そう離そうとすると、ポトンとすぐ落ちるでしょう?」の言葉の通り。
私は十代の時に、80歳になられる日野原先生の講演を学校で聞いたことがあって、現役のお医者様と聞いて驚いたけど、その10年後、子どもが生まれてから、90歳になられた日野原先生の講演をまた聞く機会があって、全然お変わりなく驚いた!上の話は、その時にされた内容。
私は、とても自分の気持ちが肯定されたようで、ああ、これでいいんだと、とても嬉しくなった。
ご著書の「生き方上手」について、「これは、死に方上手ということなんですよ。でも死に方上手じゃ売れないですからねぇ〜」とか、「嫌いなものは、美人の先生に習えば楽しいですよ〜」などと、タモリさんのようなこと仰るお茶目な先生でもあり♪
しっかりついてあげれば、自然に離れる時が来る。
ついてあげるのが楽しく、離れるのも頼もしい。
一緒にいるのを離そう離そうとストレスにし、離れるとなったらまたそれをストレスにする‥
同じことを幸福にするか、不幸にするかの分かれ道。
日野原先生、ありがとうございます
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